永遠のライバル「浦和VS大宮」を徹底的に比較してみた
県は浦和と大宮の結婚を昭和初期から勧めていた
様々なメディアが「浦和と大宮は仲が悪い」と報じているけれども(参照:マツコ説く「さいたま市解散」論! 浦和・大宮の溝深すぎる)、この地域を1つの市にしようという構想は、昭和初期から何度も持ち上がっていた。
1931年に当時の県知事が「大埼玉市構想」をぶち上げたのが最初で、1940年には総論賛成で一度まとまっている。ところが具体的な調整段階で異論が出て暗礁に乗り上げ、1940年に大宮町が周辺の4村と合併して「大宮市」となったことから、結局破談となってしまった。
浦和レッドダイヤモンズと大宮アルディージャのさいたまダービーばかりが注目されるが、歴史的遺恨があったのは事実だ。1948年に発生した埼玉県庁舎焼失事件では、どこに再建するかで大宮と熊谷が強力な誘致合戦を展開し、1950年に決選投票が実施されたこともある。
埼玉のワシントンと称される浦和と、県内一の商都として発展した大宮。同一自治体として地域融和は進んでいるように見えるけれども、生活環境や住民の気質は大きな違いがある。そこでJタウンネットは両地域を比較してみた。