永遠のライバル「浦和VS大宮」を徹底的に比較してみた
東京23区を除く日本の都市で9番目に人口の多い「さいたま市」。2001年5月に浦和・大宮・与野の3市が合併して誕生した新しい都市で、2005年には岩槻を編入し、現在の人口は約125万人に達する。
県は浦和と大宮の結婚を昭和初期から勧めていた
様々なメディアが「浦和と大宮は仲が悪い」と報じているけれども(参照:マツコ説く「さいたま市解散」論! 浦和・大宮の溝深すぎる)、この地域を1つの市にしようという構想は、昭和初期から何度も持ち上がっていた。
1931年に当時の県知事が「大埼玉市構想」をぶち上げたのが最初で、1940年には総論賛成で一度まとまっている。ところが具体的な調整段階で異論が出て暗礁に乗り上げ、1940年に大宮町が周辺の4村と合併して「大宮市」となったことから、結局破談となってしまった。
浦和レッドダイヤモンズと大宮アルディージャのさいたまダービーばかりが注目されるが、歴史的遺恨があったのは事実だ。1948年に発生した埼玉県庁舎焼失事件では、どこに再建するかで大宮と熊谷が強力な誘致合戦を展開し、1950年に決選投票が実施されたこともある。
埼玉のワシントンと称される浦和と、県内一の商都として発展した大宮。同一自治体として地域融和は進んでいるように見えるけれども、生活環境や住民の気質は大きな違いがある。そこでJタウンネットは両地域を比較してみた。
人口はほぼ一緒だが、密度は浦和の勝ち!
最初に、さいたま市が誕生する直前の両市の人口を比較してみよう。
旧浦和市は約48.6万人で、現在は浦和・桜・緑・南の4区に分かれている。一方の旧大宮市は45.7万人で、大宮・北・西・見沼の4区に分割された。人口規模は大差ないが、浦和の方が人口密度は高かった。
駅名数は圧倒的に浦和の勝ち!
次に比較するのは駅名。さいたま市には「浦和」と「大宮」の名前を付けた駅が実に多い。
浦和は何と8駅で、JRの浦和、北浦和、南浦和、東浦和、西浦和、中浦和、武蔵浦和、そして埼玉高速鉄道の浦和美園がある。一方の大宮は、JRの大宮、東大宮、西大宮、東武鉄道の北大宮と大宮公園の5つだ。
元々何もなかった土地だったから「浦和」がいっぱいあるのでは――という疑念は残るものの、浦和の勢力範囲が広い証拠といえるだろう。
もっとも、中心駅の乗降客数では大宮が浦和を圧倒する。大宮駅はJR東日本、東武鉄道、埼玉新都市交通(ニューシャトル)の3事業者が乗り入れ、JRだけで乗車人員は24.5万人もいる。新幹線停車駅としての風格は埼玉一だ。一方の浦和駅は8.4万人に過ぎない。
さすが商都の大宮、商品販売額は断然上!
人が集まれば町も栄える。そこで各区の事業所数(卸売業・小売業)、従業員数、年間商品販売額を一覧にしてみた。2007年のデータなので少々古いが、大宮は浦和の約3倍の売り上げ規模がある。
上の表でもみてわかるとおり、旧浦和市もそれなりに店はある。そこで「全国大型小売店総覧2015年版」(東洋経済新報社)から店舗面積1万平方メートル以上の大規模店をピックアップしてみた。
浦和駅西口の伊勢丹は、新宿店に次ぐ全国2番目の売上がある。また東口に2007年9月に開業したパルコは、広島店に迫る売上規模に成長した。
なお、浦和区の「ビバモールさいたま新都心」は2014年12月にオープンしたばかりで、諸統計のデータには反映されていない。そしてJR東日本は浦和駅にアトレを建設している。完成が楽しみだ。
商業地としてのパワーは大宮の方がずっと上だ。1980年代前半までは東口の方が圧倒的に賑わっていたが、今や立場は逆転し、西口の方が活気にあふれる。
大宮は大型商業施設が集積するだけでなく、独自の文化を育む土壌がある。大宮駅東口から氷川神社へ向かう通りには美容室や古着屋が集まる。原宿並みに美容院の激戦区で、密集度では日本一とマスコミに取り上げられたこともあるという。
戦後日本の雰囲気が今に残る東口だが、再開発が進めば本来のポテンシャルを発揮できることだろう。