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「忍たま」作者出身地・尼崎には忍者っていたの? 地元史料館がガチ回答

Jタウンネット編集部

Jタウンネット編集部

2014.02.07 11:03
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丁寧な回答に脱帽

史料館からの回答は「いたか、いなかったのか」というレベルを超えるものだった。

青山氏が尼崎藩主であった時代には、「忍頭(しのびがしら)」という藩士の役職がありました。また、藩主・青山幸利(よしとし)が「忍目付(しのびめつけ)」という役の者を摂津国内や周辺諸国に派遣していたという記録があります。尼崎藩領の所在地は摂津国の西部(現在の尼崎市域から神戸市域にかけて)にあたるので、忍目付が派遣された先としては播磨国(現兵庫県南西部)、河内国・和泉国(現大阪府域)、大和国(現奈良県域)、山城国(現京都府南部)などが考えられます。
松平氏が尼崎藩主であった時代には「隠密(おんみつ)」という役職があったことが、幕末期の史料により確認できます。ただし、その具体的な役割・性格は不明です。
国立国会図書館のレファレンス協同データベースより)

結論だけでなく「回答文プロセス」「参考資料」も付記されていて、今後相談者が別の疑問にぶつかったとき、自分1人で調べる際の参考にもなっている。

この調査結果を導くのにどれくらいの時間を要したのかについては記載がない。史料館の職員にとっては調べがいのあるタフな内容だったのか、それともお茶の子さいさいだったのか。そこが気になるところである。

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