「和」を知り尽くした大将が腕をふるう 曙橋の隠れた名店「魚亭かみや」【東京】
ヨーロッパで「日本料理」の腕を振るう
20代に入ると、竹内氏から紹介された都心の名店を渡り歩き、さらに腕を磨いた。日本橋人形町の「玄冶店(げんやだな)濱田家」や、ふぐ料理の「赤坂もみじ」、新富町の老舗「松し満」など、政財界の超大物が利用する店ばかりだ。
そのときのお客の一人がスイスに領事として赴任し、現地のホテルのオーナーと知り合いになったことから、海外で日本料理店の仕事をしてみないかと声を掛けられる。
「あちらに日本料理店がないので日本人が大変苦労している、という話だったのですが、さすがにベテランの職人では難しい。そこで若手の私であれば、行って何とかできるのではないか、ということになったのです」
24歳で渡欧し、スイスの首都ベルンの五つ星ホテル「ベルビュウパレス」に日本料理店を開き、現地初の日本料理を披露する。
そこで一仕事をした後、神谷氏は「もっと英語も学びたいし、そのまま帰るのは惜しい」と考え、英国ロンドンに渡った。1970年5月、ビートルズが『レット・イット・ビー』をリリースしたころである。
当時のロンドンは日本人が増え始めたころであり、日本料理店の需要も高まっていた。そこで日本食高級レストラン「ひろこ」に入って、板長や総支配人として腕を振るい、JAC田崎グループの「あざみ」でも活躍した。
ちなみに奥さまのモニカさんはドイツ出身。ベルビューパレスホテル時代に知り合い、ロンドンで再会して結婚した。いまでもお店に出て外国人客にドイツ語や英語で接客するほか、日本語も堪能だ。海外から訪れたお客さんを連れていくのには最適であろう。