「和」を知り尽くした大将が腕をふるう 曙橋の隠れた名店「魚亭かみや」【東京】
都営新宿線の曙橋(あけぼのばし)駅A3出口すぐ、コーヒーショップ脇の階段を上った先の2階に「魚亭かみや」はある。入口近くにそば打ち場があり、店主自ら蕎麦を打つこともあるが、れっきとした日本料理の名店である。
この店の「大将」こと神谷宗佑氏は、戦後に名だたる店で腕を磨き、多くの要人をうならせてきた職人であり、この店でしか味わえない旬の食材を入手する独自のネットワークを今も全国に張り巡らせている。
「地域のパトロン」の下で16歳から修業
神谷氏は1945年、愛知県南部の幡豆(はず)町(現在の西尾市)に生まれた。町の北側は愛宕山や三ヶ根山、南側は三河湾に面しており、幼いころから山海の美味に囲まれて育った。
16歳の時、名古屋の奥座敷といわれた渓谷・定光寺の割烹料理店「千歳櫻(ちとせろう)」の桜井光夫氏に弟子入りし、料理人の道をスタートさせる。
「お店で人手が足りないので、『神谷家には子どもがいっぱいいるから、一人くらい来させてくれ』と親戚筋から声がかかって、私に決まったという感じでした(笑い)」
桜井氏は、美濃焼の無名の陶工たちに作らせた焼き物を器として使うなど、地域のパトロン的な動きもしていた。そのころに養われた目は、いまも器選びに活かされている。 また、東京から腕のいい板前を呼び、イベントと称してお客を集めて美味しい料理をふるまいつつ、弟子たちには一流の仕事を目の当たりにして学ばせる機会を設けてくれたという。
店は繁盛し、1日300人ものお客に料理を出すこともあったといい、精力的に働いた。そこで見込まれた神谷氏は19歳のときに上京し、「錦水(きんすい)」「星ヶ岡」で活躍した竹内啓恭氏の名店「三喜(さんき)」へ移る。
「ある日、千歳櫻の旦那さんに呼ばれて、『うちに呼んだ東京の職人で誰がよかった?』と訊かれたんです。そこで『三喜さんが素晴らしかった』と答えたところ、じゃあそこで修業してこいということになりました」
竹内氏は北大路魯山人の下で、煮方を務めた料理人。神谷氏は竹内氏から、直々に独創的な「懐石くずし」を伝承された。この技は、「魚亭かみや」の売りのひとつになっている。
ヨーロッパで「日本料理」の腕を振るう
20代に入ると、竹内氏から紹介された都心の名店を渡り歩き、さらに腕を磨いた。日本橋人形町の「玄冶店(げんやだな)濱田家」や、ふぐ料理の「赤坂もみじ」、新富町の老舗「松し満」など、政財界の超大物が利用する店ばかりだ。
そのときのお客の一人がスイスに領事として赴任し、現地のホテルのオーナーと知り合いになったことから、海外で日本料理店の仕事をしてみないかと声を掛けられる。
「あちらに日本料理店がないので日本人が大変苦労している、という話だったのですが、さすがにベテランの職人では難しい。そこで若手の私であれば、行って何とかできるのではないか、ということになったのです」
24歳で渡欧し、スイスの首都ベルンの五つ星ホテル「ベルビュウパレス」に日本料理店を開き、現地初の日本料理を披露する。
そこで一仕事をした後、神谷氏は「もっと英語も学びたいし、そのまま帰るのは惜しい」と考え、英国ロンドンに渡った。1970年5月、ビートルズが『レット・イット・ビー』をリリースしたころである。
当時のロンドンは日本人が増え始めたころであり、日本料理店の需要も高まっていた。そこで日本食高級レストラン「ひろこ」に入って、板長や総支配人として腕を振るい、JAC田崎グループの「あざみ」でも活躍した。
ちなみに奥さまのモニカさんはドイツ出身。ベルビューパレスホテル時代に知り合い、ロンドンで再会して結婚した。いまでもお店に出て外国人客にドイツ語や英語で接客するほか、日本語も堪能だ。海外から訪れたお客さんを連れていくのには最適であろう。
働き盛りの人たちに「旬の味覚」を味わって欲しい
一姫二太郎に恵まれた後、西独デュセルドルフのドイツ日本館2階に、当時初のカラオケパブ「カトレヤ」のオープンに協力したのを置き土産に、1978年の暮れに家族と日本に戻ってきた。「英語は私でもできたけど、日本語は難しいから」と、子どもたちが小さいうちに日本語に触れさせたい、というのが動機だったそうだ。
帰国後は、「赤坂きくみ」の新宿三井ビル店、霞ヶ関店を経て、1987年に42歳で独立。新宿歌舞伎町、風林会館の地下に「グルメ倶楽部きく林(キクリン)」を創業した。
おしゃれな料理中心だが、場所柄深夜までカラオケができるというスタイルで大手企業のサラリーマンなどで賑わった。1993年に同じ歌舞伎町で本格的な割烹料理店「日本料理かみや」を創業するもバブル崩壊などもあって移転を決意。そして2000年、「魚亭かみや」として曙橋に移転し、現在に至るというわけである。
移転後は企業のオーナー社長が訪れることが多いというが、弟子たちや美しい器とともに、新しい客層を開拓したいと考えている。
「日本の豊かな四季をこんなに取り入れている料理は、日本料理だけなんです。うちは少量でもその土地にしかないもの、東京でもなかなか買えないもの、たった2~3週間しか味わえないものでも、旬のタイミングで手に入れることができる。働き盛りの30代から40代のビジネスマンたちに、そんな日本料理の魅力を知ってもらいたいですね」
日本酒はもちろん、日本料理に合うワインを揃えたワインセラーも置いている。日本料理の最良の伝統を引き継ぎつつ、新しい美味を追求しつづける料理人の「仕事ぶり」を、いつか味わってみてはいかがだろうか。
魚亭(ぎょてい)かみや
住所 | 東京都新宿区住吉町7-1 福松ビル2階 |
電話 |
03-3351-4357 |
ウェブサイト | |
アクセス | 都営新宿線・曙橋駅A3出口から徒歩1分。1階はドトールコーヒー。 |
休業日 | 日曜、祝日(出前・出張パーティ料理承ります)、年末年始 |
メニュー | ◇ランチ 11:30~15:00
◇ディナー 17:00~22:00(ラストオーダー)
◇飲み物 |