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「和」を知り尽くした大将が腕をふるう 曙橋の隠れた名店「魚亭かみや」【東京】

Jタウンネット編集部

Jタウンネット編集部

2014.01.14 10:41
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「地域のパトロン」の下で16歳から修業

富山から直送された氷見(ひみ)ブリをさばく神谷氏。
富山から直送された氷見(ひみ)ブリをさばく神谷氏。

神谷氏は1945年、愛知県南部の幡豆(はず)町(現在の西尾市)に生まれた。町の北側は愛宕山や三ヶ根山、南側は三河湾に面しており、幼いころから山海の美味に囲まれて育った。

16歳の時、名古屋の奥座敷といわれた渓谷・定光寺の割烹料理店「千歳櫻(ちとせろう)」の桜井光夫氏に弟子入りし、料理人の道をスタートさせる。

「お店で人手が足りないので、『神谷家には子どもがいっぱいいるから、一人くらい来させてくれ』と親戚筋から声がかかって、私に決まったという感じでした(笑い)」

桜井氏は、美濃焼の無名の陶工たちに作らせた焼き物を器として使うなど、地域のパトロン的な動きもしていた。そのころに養われた目は、いまも器選びに活かされている。 また、東京から腕のいい板前を呼び、イベントと称してお客を集めて美味しい料理をふるまいつつ、弟子たちには一流の仕事を目の当たりにして学ばせる機会を設けてくれたという。

店は繁盛し、1日300人ものお客に料理を出すこともあったといい、精力的に働いた。そこで見込まれた神谷氏は19歳のときに上京し、「錦水(きんすい)」「星ヶ岡」で活躍した竹内啓恭氏の名店「三喜(さんき)」へ移る。

「ある日、千歳櫻の旦那さんに呼ばれて、『うちに呼んだ東京の職人で誰がよかった?』と訊かれたんです。そこで『三喜さんが素晴らしかった』と答えたところ、じゃあそこで修業してこいということになりました」

竹内氏は北大路魯山人の下で、煮方を務めた料理人。神谷氏は竹内氏から、直々に独創的な「懐石くずし」を伝承された。この技は、「魚亭かみや」の売りのひとつになっている。

酒肴いろいろ。
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