町田市が、本当に神奈川県だった時代...明治に繰り広げられた「多摩領土戦争」とは?

2016年5月 3日 11:00

東京都に戻った理由は...

それから約20年。1892年12月16日に、三多摩を神奈川県から東京府に移管する「法律案」が出された。最大の理由は、山梨県に源流を持つ玉川上水が、「神奈川県」の西多摩郡と北多摩郡を通過して、東京府へと流れていること。1886年にコレラが流行したとき、西多摩郡内で患者の排泄物が投下されたと伝えられ、府は「非常ノ警戒」をしたという。

玉川上水(Taichiro Uekiさん撮影、flickrより)
玉川上水

東京府知事による上申書によると、三多摩と東京府は水道問題以外にも、甲州街道や甲武鉄道(現在の中央線)などで利害が一致しているとも書かれていた。これを受けて、翌年4月1日、3つの郡が東京府へ移り、ほぼ現在の「東京都」と同じ形ができあがる。

法案が出た当時は、交通事故療養中の伊藤博文首相に代わり、井上馨内務大臣が「臨時代理」を務めていた(「東京府及神奈川県境域ヲ変更ス」、国立公文書館デジタルアーカイブより)
法案が出た当時は、交通事故療養中の伊藤博文首相に代わり、井上馨内務大臣が「臨時代理」を務めていた(「東京府及神奈川県境域ヲ変更ス」、国立公文書館デジタルアーカイブより)

なお、水道に直接関係ない南多摩郡も、このタイミングで府へ移った。福生市郷土資料室が作成した「もっと知りたい 福生の歴史」によると、

「この問題に、自由民権運動の盛んだった多摩地域の勢力を削減するという政治的な問題も絡み、水源に直接関係のない南多摩地域も含めて多摩地域は東京府に移管となりました」

とある。

そしてこれから、120年近くにわたり、「町田=東京」となったのだが――。いまの23区にも「神奈川県」だった地域があるという。

杉並区・中野区も「神奈川県」だった! 東京23区に残る「多摩の痕跡」を追う

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