町田市が、本当に神奈川県だった時代...明治に繰り広げられた「多摩領土戦争」とは?
よくネットで話題になる「町田は神奈川」ネタ。神奈川県に食い込むような形の東京都町田市は、しばしば「領有権ジョーク」の題材になっている。
それからしばらく、北多摩郡と南多摩郡、そして西多摩郡の「三多摩」は、神奈川県として扱われることになる。いまの市域で言うと、町田だけでなく、八王子や立川、武蔵野、三鷹など広範囲にわたる。
東京都に戻った理由は...
それから約20年。1892年12月16日に、三多摩を神奈川県から東京府に移管する「法律案」が出された。最大の理由は、山梨県に源流を持つ玉川上水が、「神奈川県」の西多摩郡と北多摩郡を通過して、東京府へと流れていること。1886年にコレラが流行したとき、西多摩郡内で患者の排泄物が投下されたと伝えられ、府は「非常ノ警戒」をしたという。
なお、水道に直接関係ない南多摩郡も、このタイミングで府へ移った。福生市郷土資料室が作成した「もっと知りたい 福生の歴史」によると、
「この問題に、自由民権運動の盛んだった多摩地域の勢力を削減するという政治的な問題も絡み、水源に直接関係のない南多摩地域も含めて多摩地域は東京府に移管となりました」
とある。
そしてこれから、120年近くにわたり、「町田=東京」となったのだが――。いまの23区にも「神奈川県」だった地域があるという。