介護に限界感じて願った「早く天国に行ってくれないか」 認知症母を見送った息子が〝今〟思うこと
現実から逃げていた私
私を命懸けで産んでくれた母。
風邪を引いたら寝ないで看病してくれた母。
かゆいと言ったらすぐ塗り薬を塗ってくれた母。
痛いと言ったらずっとさすってくれた母。
毎日美味しいごはんを作ってくれた母。
色々なところへ父と連れて行ってくれた母。
苦手な割り算を教えてくれた母。
一緒にたべっ子どうぶつのスペルを暗記して問題を出し合った母。
授業参観には精一杯のお洒落をしてきて首と顔の色が合ってなかった母。
文句ひとつ言わずに、泥だらけのユニフォームを洗ってくれた母。
おいしいものしか入っていないお弁当を毎週作ってくれた母。
心配ばかりかけさせてしまった母。
「世界中みんなおまえの敵でも、母さんだけは味方だよ」と言ってくれた母。
朝見送る時は必ず「焦らないでね」と言ってくれた母。
入学、就職を全身全霊で応援してくれた母。
恋愛の相談を聞いてくれた母。
でも彼女に息子を取られるのを心配してた母。
私の妻に「お母さん」って言われるのを少しだけ嫌がっていた母。
結婚して実家を出て行った次の日に寂しくなって電話をしてきた母。
孫が元気に産まれたことに泣いていた母。
孫に「ばぁば」って言われて、私の反抗期に「ババアと」呼ばれていたのを忘れて照れくさそうにしていた母。
会社から帰ってきてすぐトイレに入ると「もったいないから会社でしてきなさいよ」と分からないことを言っていた母。
「おまえは母さんに似て優しくておもしろいからモテるわよ」と親バカじゃなくてもうバカ親だった母。
ボケてきたくせに「その髪型似合わないわよ」と言ってきた母。
なかなか褒めないけど、褒め上手な母。
ここ数年、母の認知症がどんどん進み、会話や歩行すらも難しくなり、家族みんなの介護も限界に近くなっていました。
少し離れて暮らしている私は携帯が鳴るたびにドキッとし、父の愚痴や心配だけが募っていく毎日でした。
どうか苦しまずに、早く天国に行ってくれないか、と少しでも願ってしまった私は親不孝な息子です。
もし父が先に逝ってしまったら、母と知的障害のある姉の面倒を私が見なければならないことに不安を感じ、現実から逃げていた私は罰当たりな息子です。