「海外から移住してきた私と夫。日本語が上手く話せない私に、近所の店やアパートの大家、そしてタクシーの運転手が...」(東京都・女性)
言葉がわからない中での買い物は、大変だったけど...
まだ日本語が自由に使えない私にとって、一番たいへんだったのは買い物でした。駅近くのお肉屋さんは100グラム単位で頼めたのでなんとかなりましたが、八百屋さんと魚屋さんでは、品物の名前も知らないので困りました。いつも指をさして「これください」「それもお願いします」しか言えなかった。
それでも、お肉屋さんのおじさんは時々「はい、おまけです」と多めに入れてくれた。お魚屋さんで買ったお刺身を持って帰ってきたら、注文してないお刺身も入ってました。八百屋さんのお兄ちゃんが桃を一個おまけに入れてくれた時、後ろに並んでたおばさんが「私も!」と言って、お兄さんが「ありません!」と笑って答えていたのを覚えています。
その年の夏、妊娠3か月目になった私はひどい出血をしました。大家さんに大きな産婦人科病院を紹介され、夫に支えられながら病院を探し歩きました。
到着して、2人で病院の先生に叱られました。
「どうして救急車呼ばないの?」
「歩いてきた?そのまま死ぬかもしれないよ」
すぐ手術室に運ばれましたが、残念ながら流産になりました。