「大阪でタクシーに乗ったら、運転手が東北訛りで『おぎゃくさん』。思わず出身地を尋ねたら...」(東京都・50代男性)
シリーズ読者投稿~忘れられない「あの人」と~ 投稿者:Wさん(東京都・50代男性)
20年前のある春の夜、Wさんは不思議な出会いを経験したという。
その相手は、父がいる病院へ向かうために乗ったタクシーの運転手だった。
<Wさんの体験談>
2003年の4月17日、夜12時近くに新大阪駅から吹田市にある国立循環器病センターまで乗せていただいたタクシーの運転手さん。
あなたにもう一度会ってお礼を言いたいと願いながら、20年の月日が経ってしまいました。
「親父が倒れた」と弟からの電話
あの日、仕事を終えて自宅へ帰ろうとしていたところに、関西の弟から電話が入りました。
「親父が倒れて意識がない。原因はわからないが今病院へ向かっている」
心筋梗塞、大腸がんと立て続けに大病を患っては乗り越えてきた父でしたが、いよいよこれが最後になるかもしれない......。私はそのまま東京駅に向かい、新幹線に飛び乗りました。
僕が着くまで生きていてほしい。一度も座席に座ることなく新大阪に着くと、一目散にタクシー乗り場に向かい、一番前に止まっていた車に飛び乗りました。
行き先を告げると、私の慌てぶりを見て運転手さんが話しかけてきました。
「おぎゃくさん、どうかすたんですか?」
前年、訪れた場所で聞いていた東北訛り
一瞬「え?」と思い、「運転手さんどちらの方ですか?」と聞きました。
私の祖父は50年ほど前に亡くなったのですが、遺体が見つかったのが弘前で、私は2002年に初めてその場所を訪れていました。運転手さんが話していたのは、その時に聞いたような東北訛りだったのです。
私の質問に「弘前です」と答えた彼は、そのまま続けました。
「お客さん、大丈夫ですよ。今日私ラズオ聴いてたんですよ。そしたら夫がくも膜下になったって人が出てたんですよ。私その人死んだんだって思ったんですよ。そしたら、奇跡的に助かって今は夫と二人で暮らしています、っていう人だったんですよ。だから大丈夫ですよ」
呆然と聞いているうちにタクシーは目的地に着きました。代金は4300円ほどだったので5000円をお渡しして、お釣りももらわず玄関で待っていた義妹と共に手術室へ走りました。
タクシーに乗った時点では病名はわかっていなかったのですが、父はくも膜下出血でした。
助かったとしてもその確率は1万分の1、しかも植物状態になる可能性が高いと告げらたのです。
しかし、父はその後6回も頭を開ける手術をして、何度か危篤になったこともありましたが、85歳の現在も元気に、私と母と一緒に暮らしています。
そう、あの運転手さんの言った通りになったのです。
祖父からのメッセージのような気がして
今考えても、あの時、あの運転手さんとの出会い、そして彼が語ってくれた話が、まるで死んだ祖父からのメッセージだったような気がして不思議で不思議で仕方ありません。
あの日僕が降りてしばらくして、あのタクシーはシンデレラの馬車のように運転手さんごと消えてしまったのではないか、と思うほどです。
運転手さんがお元気だとすればきっと、父同様80歳を超えてらっしゃることでしょう。
今年、あれからちょうど20年が経ち、どうしてもお礼を言いたくて......。
あなたを知る誰かに、どこかでこのメッセージが届くことを祈りつつ。
誰かに伝えたい「あの時はありがとう」、聞かせて!
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