島根県にある地名「出雲郷」 ←ひらがな4文字で、なんと読む?
突然だが、みなさんは「出雲郷」という地名の読み方をご存じだろうか。
島根県松江市東出雲町内の地域である。あの出雲大社がある島根県の地名なのだから、「いずもきょう」や「いずものさと」だと思った人も多いのではなかろうか。
しかし、「出雲郷」という場所は、予想を見事に裏切ってくる。
「あだかえ」
......信じられないかもしれないが、これが出雲郷の正しい読み方なのだ。
何がどうして、こんな読み方をするのだろうか。2023年2月2日、Jタウンネット記者は松江市東出雲支所地域振興課の職員を取材した。
「あだかや」の読みが先にあった?
地域振興課の職員は回答として、2011年に松江市に編入された旧・東出雲町の歴史を記した「東出雲町史」に掲載されている、「『出雲郷』アダカエのなぞ」のページを送ってくれた。
そこには、出雲郷がなぜ「あだかえ」なのかについて、次のような説が記されている。
「出雲郷は元来、産土神――アダカヤヌシタキキヒメ(阿陀加夜努志多岐吉比売)をまつる集落を起源に成立した郷であって、その呼称は『阿太加夜神社(編注=あだかやじんじゃ)』にちなむものであった」
「近世になって村名にそのまま『出雲郷』を冠らせたから、奇妙な地名となったのである」(東出雲町史より)
つまりこの地域は、出雲国風土記に登場する阿太加夜神社にちなんで「あだかや」と呼ばれていた。また、日本歴史地名大系によると、「あでかえ」とも称されていた。
いつから「出雲郷」という漢字が使われるようになったかはわからないが、少なくとも鎌倉時代の史料ではこの地域を「出雲郷」と書いていることを確認できるという。「出雲郷」という字が登場したのは、この地域が出雲国造の支配していた地域であるから、と考えられるそうだ。
また、江戸時代前期の儒学者・黒沢石斎は松江藩の地誌「雲陽誌」の中で、出雲郷(同書の中では「出雲里」)を「あだかえ」と読む理由について、阿太加夜神社との関係によるものではないかと推量しているものの、断定することは避け、「なお博覧の人に尋ねるべし」と述べているとのこと。
遠い昔から疑問に思う人はいても、真相にはたどり着けないまま現在まで残り続けている「出雲郷=あだかえ」。これからも多くの人々を惑わせる地名であり続けるのかもしれない。