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両津勘吉も訪れた「船橋ヘルスセンター」跡地に残る「昭和の痕跡」 撤去の危機を2度乗り越えた「一本松」が伝える思い出【昭和の日特集】

大山 雄也

大山 雄也

2022.04.29 08:00
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「シンボルは一本松」だった

4月16日、丸山さんから話を聞くべく「あんこう」を訪れた筆者。そこで、記念碑が今も残っている理由を聞くと、丸山さんから意外な答えが返ってきた。

「記念碑の方はあんまり気にしたことなかったですね。記念碑の隣にある一本松が当時はシンボルでしたから」
記念碑の奥にあるのが、当時シンボルだったという一本松(2022年4月16日、Jタウンネット撮影=以下同)
記念碑の奥にあるのが、当時シンボルだったという一本松(2022年4月16日、Jタウンネット撮影=以下同)

筆者は大きな勘違いをしていたようだ。船橋ヘルスセンターの賑わいを今に伝えるものは、記念碑しかないと思い込んでいた。

しかし、丸山さんによると、船橋ヘルスセンターの名残のメインはその隣にある一本松だというのだ。

「あの松は船橋ヘルスセンターが開園した当時からずっとあるもので、施設のシンボルでした。松は、船橋大神宮(意富比神社)の方向を向いていて、かつては松のあるところがヘルスセンターの入り口だったんです」(丸山さん)
建設途中の船橋ヘルスセンターの入り口付近の写真。中央に松が写っている。(丸山さんが所有)
建設途中の船橋ヘルスセンターの入り口付近の写真。中央に松が写っている。(丸山さんが所有)

シンボルとして存在している松。そのすぐ隣に記念碑が建った理由について、丸山さんはこんな推測を話した。

「松の隣は1番いいポジションです。そこに記念碑を建てたのは、自慢や自信の現れだったのかもしれません」(丸山さん)
松に託された思い
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