かつての過ちを乗り越えるために... 千葉・東金市に佇む謎の石碑に、込められた思い
歴史を逆手に「町おこし」も
東金市商工観光課が運営するウェブサイト「東金観光うきうき情報」には、その顛末がまとめられている。
「話は日本でフラフープが大ブームになった昭和33(※編注:1958)年にさかのぼります。
この年、アメリカで大人気となったフラフープが日本に上陸したのは10月中旬のこと。大手デパートが販売を開始したことで話題となり、正規輸入品は予約がなければ買えないほどの人気となりました。構造が簡単なだけにコピー商品もすぐに出回り、日本のあちこちで大流行となったわけですが、なぜか黒いウワサがついて回りました。『フラフープで遊びすぎて腸ねん転になった』とか『胃に穴があいた』とか。ついには『回しすぎて死んでしまった少年がいる』というウワサが出回り、ここでいち早く反応したのが東金市立東金小学校(当時)でした」
58年11月23日、同校は「フラフープ禁止令」を全国に先駆けて発表。校内での使用を禁止し、家庭での使用自粛も求めたのだ。
このことは同日の朝日新聞でも報道され、「フラフープは体に悪い」という噂が広がった。その結果、東金小学校と同様にフラフープを禁止する小学校が相次ぎ、フラフープブームはわずか2か月ほどで終焉を迎えたのだという。 市の担当者は言う。
「当時言われていた腸捻転の原因になるという話は全くの誤解でしたが、全国に禁止令が広がってしまった。そのときの謝罪の意味とフラフープブームが再び盛り上がってほしいとの思いからフープ塚を設置しました」
こうしてブーム失速の原因となった東金小学校の跡地である東金中央公園にフープ塚が誕生した。
なぜ、ブームが下火になってから40年ほど経った2010年にフープ塚ができたのかを聞くと、
「町おこしの意味もありまして」
と担当者。東金市ではフラフープブームを失速させてしまった歴史を逆手にとり、「EGフープバトル世界選手権」と題したフラフープの競技会を開催するといった、町おこしを行っている。商工観光課のウェブサイトによると「フラフープへの謝罪と鎮魂(?)の意味も込めて」提案されたもので、EGとは「東金」を直訳した「East Gold」の略だという。
2010年以降もフラフープが日本中を巻き込む熱狂的なムーブメントになっているとは言い難いが、フープ塚に込められた願いは、いつか伝わる日がくるかもしれない。