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ビートたけしに救われた町は、今―― 「ここに来れば、幸せになれる」熊野前商店街に残る思い

大山 雄也

大山 雄也

2021.12.29 06:00
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「元気が出るテレビ」の影響は何だったのか

企画から36年も経ってしまっているため、番組の面影を残しているものは残念ながら、「たけし猫招き」以外は見当たらない。

そこで筆者は、熊野前商店街振興組合の瀬田茂道理事長、石坂渉副理事長の元を訪れた。ほかにも何か番組の遺産はないのか聞いてみると、倉庫に仕舞われていたポスターを出してくれた。

「元気が出るテレビ」が作成したポスター
「元気が出るテレビ」が作成したポスター

筆者は瀬田理事長と石坂副理事長に「元気が出るテレビ」の思い出も聞いた。

――「元気が出るテレビ」が放送されたことで、1985年当時に人手の変化はあったか。

「やっぱりテレビの影響は大きいですね。商店街でもポスター、キーホルダー、貯金箱、Tシャツとか番組オリジナルグッズを販売していました。これは後に、江の島の元気が出るハウスでも販売されたんですけど、その前に熊野前商店街で販売したんです。そのときは全国から人が来ていましたね」(瀬田理事長)
「テレビで流していましたからね。熊野前で販売しますって。すごい反響がありましたよ」(石坂副理事長)

――番組のブームが過ぎ去った後、人出に変化はあったか

「番組とかイベントがどうこうって話ではなくて、景気の流れが悪くて、人の流れがなくなってしまいましたね。ただ、しばらくは番組のブームの尾を引いていましたね」(石坂副理事長)

――番組の余韻が残っていたことで影響はあったか

「ブームの尾を引く程度でも、影響はあったと思います。飲食関係は特に番組の影響で潤っていたんじゃないでしょうか」(石坂副理事長)

――2021年現在でも影響は残っているか

「今でも『たけし猫招き』を見に来る人が時々いますね。写真撮っていっていますよ。あと、番組がきっかけかわかりませんが、『復興広告計画』が放送されたのを境にCMにドラマ、映画とロケ地で使われる機会が多くなりましたね」(石坂副理事長)
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