ビートたけしに救われた町は、今―― 「ここに来れば、幸せになれる」熊野前商店街に残る思い
読者のみなさんは、「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」(日本テレビ系)を覚えているだろうか。
1985年4月から1996年10月にかけて、日曜20時に放送されていた伝説のバラエティ番組だ。
出演者には、ビートたけしさんや松方弘樹さん(故人)、高田純次さん、兵藤ゆきさん、島崎俊郎さんら豪華面々が並び、総合演出をテリー伊藤さんが務めていた。
「ダンス甲子園」をはじめとする一般人の参加企画、早朝にターゲットが寝ているそばで高田さんがバズーカを発砲する「早朝バズーカ」などのおふざけ企画、パンチパーマ軍団の相沢会長やエンペラー吉田さんをはじめとする一般人の個性的なキャラクターをフィーチャーしたコーナーなど、まさに「バラエティ」に相応しい多岐にわたる名物企画を続々と誕生させてきた。
そんな「元気が出るテレビ」放送終了から25年という長い月日が流れた2021年――。
Jタウンネットでは、番組初期の人気企画「復興広告計画」を振り返ってみることにした。
すべてはここから始まった 熊野前商店街
「復興広告計画」は、「元気が出るテレビ」が開始されたばかりの1985年に行われた企画。キャッチコピーやプロモーションビデオの作成、イベントの開催や番組オリジナルグッズを販売する「元気が出るハウス」の設置と、活気のない商店街などを番組があげて応援して復興させることを目的としていた。
この企画の最初の舞台となったのが、東京都荒川区にある熊野前商店街だ。
都電荒川線の熊野前停留場からすぐの場所にある、全長480メートルにわたる商店街。のどかな雰囲気が流れる熊野前商店街だが、「元気が出るテレビ」で取り上げられたことで全国に名前が知れ渡った。
番組からは「ここに来れば、幸せになれる」とのキャッチコピーが与えられ、このフレーズを使ったたけしさんのポスターと、たけしさんの顔を模した「たけし猫招き」の設置。松方さん、高田さんら出演者が登壇するイベントが開催されるなど、さまざまな企画が行われた。
1985年当時、人気絶頂だったたけしさんの番組で取り上げられ全国的に注目を集めた熊野前商店街。番組のブームも過ぎ去った今どうなっているのか。2021年12月3日、商店街の中にある「はっぴいもーる熊野前 コミュニティセンター」を訪れると、番組から贈られた「たけし猫招き」が残っていた。
「元気が出るテレビ」の影響は何だったのか
企画から36年も経ってしまっているため、番組の面影を残しているものは残念ながら、「たけし猫招き」以外は見当たらない。
そこで筆者は、熊野前商店街振興組合の瀬田茂道理事長、石坂渉副理事長の元を訪れた。ほかにも何か番組の遺産はないのか聞いてみると、倉庫に仕舞われていたポスターを出してくれた。
筆者は瀬田理事長と石坂副理事長に「元気が出るテレビ」の思い出も聞いた。
――「元気が出るテレビ」が放送されたことで、1985年当時に人手の変化はあったか。
「やっぱりテレビの影響は大きいですね。商店街でもポスター、キーホルダー、貯金箱、Tシャツとか番組オリジナルグッズを販売していました。これは後に、江の島の元気が出るハウスでも販売されたんですけど、その前に熊野前商店街で販売したんです。そのときは全国から人が来ていましたね」(瀬田理事長)
「テレビで流していましたからね。熊野前で販売しますって。すごい反響がありましたよ」(石坂副理事長)
――番組のブームが過ぎ去った後、人出に変化はあったか
「番組とかイベントがどうこうって話ではなくて、景気の流れが悪くて、人の流れがなくなってしまいましたね。ただ、しばらくは番組のブームの尾を引いていましたね」(石坂副理事長)
――番組の余韻が残っていたことで影響はあったか
「ブームの尾を引く程度でも、影響はあったと思います。飲食関係は特に番組の影響で潤っていたんじゃないでしょうか」(石坂副理事長)
――2021年現在でも影響は残っているか
「今でも『たけし猫招き』を見に来る人が時々いますね。写真撮っていっていますよ。あと、番組がきっかけかわかりませんが、『復興広告計画』が放送されたのを境にCMにドラマ、映画とロケ地で使われる機会が多くなりましたね」(石坂副理事長)
テリー伊藤さんが熊野前商店街を選んだ理由
瀬田理事長、石坂理事長と話をするうち、「復興広告計画」の舞台になぜ熊野前商店街が選ばれたのかも見えてきた。
――「元気が出るテレビ」に出たことで変わったことがあるか
「番組が理由ではないんですけど、たまたま放送を境にして商店街の建物とか道路、街路灯が全部新しくなりました。番組をやる前から元々新しくする計画があったんです」(瀬田理事長)
――商店街が新しくなる計画を狙って熊野前商店街が企画に選ばれたということなのか。
「いやいや、それは違うんです。番組の演出をやっているテリーさんが、この商店街にある床屋の長男坊と中高の同級生で、大変仲が良かった。それでテリーさんは学生時代、しょっちゅう熊野前商店街に遊びに来ていたんです。テリーさんは本当に面白い企画をテレビでやってきましたけど、その一環で『熊野前でやらせてくれないか。こういう計画があるんです』って話を持ってきたんです」(石坂副理事長)
――経緯はどうであれ、「元気が出るテレビ」に取り上げられたのは良かったと思いますか?
「ちょっとお祭り気分でにぎやかでしたし、良かったですね。若い人中心に、番組をもとにイベントをやったり、いろいろやったりしましたから良かったと思います」(石坂副理事長)
最後に瀬田理事長は、今も熊野前商店街に残る「元気が出るテレビ」への思いを教えてくれた。
「熊野前商店街は、『はっぴーもーる熊野前』っていう通称がついています。たけしさん流に言えば『ここに来れば、幸せになれる』ってことです」
番組終了から25年。「元気が出るテレビ」のイズムは、熊野前商店街に確かに残っていた。