ロート製薬とツムラの創業者が、兄弟だって知ってた? 彼らが生まれた「薬のまち」宇陀市に迫る
江戸時代には50軒以上の薬問屋が並んでいた
飛鳥時代から、時代は一気に進むが、史跡森野旧薬園は、1729(享保14)年に造られた、現存する国内最古の私設薬園だ。当時、薬園といえば幕府官設の薬園や藩営の薬園がほとんどだったが、民間での私設の薬園は極めて少なかったという。
県のウェブサイトによると、江戸時代の大宇陀では、50軒以上の薬問屋が軒を並べていた。「薬の館」はそんな大宇陀の地に建つ、旧細川家の住宅だ。
通りに面して、家業である薬問屋を表す「天寿丸・人参五臓圓」(胃腸薬の名前)と書かれた「銅板葺唐破風付看板」が掲げられている。
「細川家2代目当主・治助の二女・満津の長男・友吉は、1882(明治15)年、藤沢家の養子となり、藤沢薬品工業(現アステラス製薬)を創設しました」(宇陀市教育委員会文化財課担当者)
宇陀市の広報誌「広報うだ」2020年2月号によると、藤沢友吉は大阪で承認の修行をするまでの間、三重県の名張市で過ごしたが、この細川家にもたびたび訪れていたという。
なお、「薬の館」には現在、宇陀市内松山地区に残る薬関係の史料や薬の看板などが展示されているそうだ。
ツイッターには、この宇陀市について、こんな声が寄せられている。
「薬の館。旧藤沢薬品工業(現アステラス製薬)の私設資料館の趣きだが市の歴史資料館の分館になっている。ホーロー看板やら木製の古い看板やらが大量にあったので自分向け過ぎる」
「津村重舎は家伝の中将湯を煎じた残渣から入浴剤を作り、それがバスクリンのもととなったとか。この家伝の漢方薬というところにこの地域の特異性を感じる」
「確かに、古代の朝廷があった奈良で製薬が行われていたのは当然のことですよね」
「薬師の地でござったか」
奈良県は、やはり奥が深い。飛鳥時代よりもっとずっと昔まで、遡らなければならないのだ。