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「日本のミケランジェロ」は新潟にいた 超絶技巧の彫物師・石川雲蝶の傑作に注目集まる

松葉 純一

松葉 純一

2021.09.08 21:00
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西福寺「道元禅師猛虎調伏の図」天井彫刻(画像提供:魚沼市観光協会)
西福寺「道元禅師猛虎調伏の図」天井彫刻(画像提供:魚沼市観光協会)

新潟県の魚沼市と聞くと、「魚沼産コシヒカリ」を思い浮かべ、「食べ物が美味しいところなのだろうな」と想像してしまう、読者の皆さん(筆者も同じです)。

この魚沼市に、「日本のミケランジェロ」と呼ばれる鬼才が残した彫刻や絵画があることを、ご存じだろうか。

江戸時代末期から明治初期に活躍した彫物師・石川雲蝶の超絶技工の傑作が、いまネット上で注目を集めている。

ツイッターではこんな声が寄せられている。

「本物を生で見たくなりました」
「惚れ惚れしちゃぅ位美しいネェー」
「雲蝶のごとき天下の鬼才を見れば、自ずと我が京の三十三間堂の千手観世音、天部神像を作った在りし日の仏師の妙技も脳裏に想像して楽しき事限りなし」
「こんな人がいたんですね。 これでもか!と彫ってあって、余程彫るのが好きだったのかと思ってしまいました」

多くの人を感動させた石川雲蝶の作品について、Jタウンネット記者は魚沼市観光協会に詳しい話を聞いてみた。

天井一面に施された仏の世界

まずは、魚沼市観光協会から提供された資料をもとに、西福寺の開山堂にある石川雲蝶の作品を見てみよう。

西福寺「道元禅師猛虎調伏の図」天井彫刻(画像提供:魚沼市観光協会)
西福寺「道元禅師猛虎調伏の図」天井彫刻(画像提供:魚沼市観光協会)

西福寺は約500年の歴史を持つ、曹洞宗の名刹だ。1857(安政4)年、当時の住職・大龍和尚によって建立された開山堂には、天井一面に施された彫刻「道元禅師猛虎調伏の図」が残されている。

開祖・道元禅師の教えに触れることができる見事な空間。大龍和尚が思い描き、雲蝶が形作った仏の世界だ。

その開山堂内の階段両脇に立ち、開山堂を守護するのは「鬼退治仁王像」。

西福寺「鬼退治仁王尊吽形」(画像提供:魚沼市観光協会)
西福寺「鬼退治仁王尊吽形」(画像提供:魚沼市観光協会)

今にも動き出しそうな迫力がみなぎる。高さ2メートル余りのケヤキの1本彫りだという。

憧れの女性をモデルにした、艶かしい天女

魚沼市内の永林寺にも、雲蝶のユニークな作品が残されている。

永林寺「天女 欄間」(画像提供:魚沼市観光協会)
永林寺「天女 欄間」(画像提供:魚沼市観光協会)

永林寺は、約500年前に創建された曹洞宗の名刹。雲蝶は1855(安政2)年に永林寺を訪れ、欄間をはじめとする彫工や絵画など100点を数える作品を手掛けた。中でも欄間に施された天女の透かし彫りはあまりにも有名だ。

目が細く、鼻が高く、色白でほんのり桜色という、当時の美人の要素をこれでもかと取り入れている。天女というにはあまりになまめかしい美女の透かし彫りだ。雲蝶の才能が並外れていることが十分に伺えるだろう。天女のモデルは、雲蝶が憧れた魚沼の女性だったとされているが......。

永林寺「天女 欄間」(画像提供:魚沼市観光協会)
永林寺「天女 欄間」(画像提供:魚沼市観光協会)

石川雲蝶という人物像も、実は、謎に包まれている。

雲蝶は、1814(文化11)年、江戸の雑司が谷(現・東京都豊島区)生まれ。江戸彫りの石川流の本流門人であり、20代で既に彫物師として名声を得ていたとされている。

そのほとばしる才能は彫師だけにとどまらなかったようだ。漆喰細工、壁画、襖絵、組子細工なども手がけ、その作品は新潟県指定有形文化財となっているそうだ。

雲蝶が越後入りしたのは、1845(弘化2)年、30代前半の頃。三条の金物商で、法華宗総本山・本成寺の世話役だった内山又蔵との出会いが発端だったというが、江戸の一流職人が、雪深い越後にやってきたのはなぜか? もっとも大きな謎は、そこだ。さまざまな説があるようだが、定かではない。「良い酒と、良いノミ」が、越後入りの決め手となったとも言われているが......。

雲蝶は、越後三条を拠点に、魚沼をはじめ、各地で活動を広げた。内山氏の世話で三条の酒井家に婿入りし、二人の子をもうけ、家族を持ち、「越後の人」となったそうだ。そして、1883(明治16)年に没した。

幕末に輝きを放った鬼才・石川雲蝶の、渾身の傑作、どうやら見逃すわけにはいかないかもしれない。

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