「お後がよろしいようで」=「オチがついた」は誤解です 落語芸術協会に「正しい使いどころ」を聞いてみた
「お後がよろしいようで......」
落語を披露した演者が、噺の最後に用いる言葉だ。
筆者はこのフレーズを「収まりよくオチがつきました」という意味の決まり文句だと思っていたのだが、実はこれは誤解らしい。
本来は違う意味だという話が、ツイッター上で話題になっている。
話題になった投稿によると、正しくは、「次に話す人(=お後)の準備ができた」という意味らしいのだ。本当だろうか?
Jタウンネット編集部は2021年1月22日、落語芸術協会(新宿区)に詳しく話を聞いた。
「決まり文句」と言うほどでは...
協会の広報担当者によると、「お後がよろしいようで」が「次に話す人の準備ができた」という意味だというのは、事実だという。ただし、落語家が実際に「お後がよろしいようで」と言うことはそれほどなく、
「決まり文句と言うほど決まっていないです」
とのこと。では、どのようなシーンで使うのだろうか。
「寄席は連続して実演家が出てきますが、まれに後の人が来てなくていつもの持ち時間以上に話す、『つなぐ』という行為をすることがあります。そんなときは高座(編注:寄席で芸を演じる場所)に出ている落語家は、着ている羽織を脱ぎ楽屋のほうに投げます。
前座や楽屋にいる者がその羽織をひっこめるのが、後の人が来た(から高座をおりてOK)という合図です。 そのときにオチまでいかなくても途中で噺を切り上げるときに、そのような言葉を使うことがあります」
つまり、次の人の準備が整うまでつなぎ、準備ができたので切り上げるときに、「お後がよろしいようで」と言うことがあるようだ。
そもそも、なぜ「収まりのいいオチがつきました」のような誤った意味が広まってしまったのだろう。広報担当者も明確な答えはわからないと前置きした上で、
「おそらくテレビなどマスメディアにて誤用されたものが広まったのでは」
と、見解を示した。
また、主任(その興行の責任者)が話した後は、それより後に出る人がいないのでこのフレーズは使わないと教えてくれた。主任が演じる落語こそがその日でいちばんの催しであるため、「後から出てくる人の落語を楽しんで」というニュアンスのあるフレーズはふさわしくないというわけだ。
ちなみに、正月に催される興行では「お後がいっぱいで」という表現をする場合があるそう。
特に若い演者は持ち時間が数分で、落語ができないため小噺やエピソードトークなどで下りることが多い。そういう場面で、「この後に落語をする人がたくさんいる」という意味あいで「お後がいっぱいで」が使われるのだという。
もし、周りに勘違いしている人がいたらそっと教えてあげよう。きっと一目置かれるはずだ。