関東と関西の境目は「岐阜県関市」にあった? 30年前の「宣言」がネットで話題に→市役所に真相を聞いてみた
なぜ関市を分岐点に?
Jタウンネットは9月25日、関市観光課の担当者に詳しい話を聞いた。
宣言のモニュメントは関市の展示施設「関鍛冶伝承館」の玄関前に設置。担当者によれば、宣言の経緯には関市の歴史的背景と、地理的要因が関係しているという。
食べ物や言葉など、古くから東西文化の要地だった関市。京都から飛騨に通じる交通の分岐点として栄え、「関所」が置かれたことから「関」という地名になった。
そして、関市は日本列島のほぼ中心に位置。また、1990年(平成2年)の国勢調査では、人口重心地が岐阜県郡上郡美並村(現・郡上市)に存在したことも要因の一つになったそうだ。
ここで気になるのが、人口重心地が美並町にあったことと、関市の宣言の関係性。担当者に聞いてみたが、詳細はわからなかった。
ただ、2005年に合併した旧・美並村と、04年に合併した旧・関市は、美濃市を挟んで比較的近い場所に位置しており、それが関係しているのではないかと担当者。
なお、05年、10年、15年の国勢調査における人口重心地は関市の武儀地域だ。