長野県民がイメージする「長野」の範囲は、他県民とは全然違うらしい
県全体は「信州」?
ここで気になるのが、長野県全体のことを県民が何と呼んでいるかである。
投稿には「信州って呼びがち」「信州って言うことが多い」という声が寄せられているが本当なのだろうか。
そもそも「信州」とは何なのか。県立長野図書館の調べによれば、「信州」は「信濃」の別称。信濃は現在の長野県のほぼ全域を占める旧国で、大化改新(645年)頃に成立したという。長野県=信州という認識はほぼ合っているようだ。
県全体を信州と呼ぶことについて、おいでよ塩尻さんに聞いてみた。
自身の日常会話では「長野県」ということが多いが、ツイッターでは1文字でも短く伝えるため「信州」と書くことも多いとのこと。県民であれば県全体を指して「信州」と言ってもわかると理解を示した。
「同じ県内でも地域ごとにかなりの距離があり、その間に山があったりして、明治時代には中南信が別の県の時期があったり、合併後も何度か分県の動きすらありました。1つの県としてではなく『信州』という地域名で呼んだ方がしっくりくる人が多いのにも納得いきます」
長野県議会の公式サイトによれば、1876年(明治9年)、当時の長野県と筑摩県の一部が統一され、現在の長野県になった。そこで新たに発足した県庁が北に寄っていることが論拠となり、移庁論、分県論が出てくるようになったとのことだ。
県全体の呼び方について、塩尻出身の社員Sにも聞いてみると、
「長野県ですかね。信州という言葉に馴染みはありますが、私はあまり使いません。他県の人に出身地を説明する時は『長野の真ん中らへん』と言います。『長野』というと長野市と思われてしまうかもしれないので」
とのこと。信州とは呼ばないものの、長野県と長野市が混合しないように気を配っているようだ。