二丁目を見守り続けて半世紀 眠らない街の優しい定食屋「クイン」
新宿の女王が見守る都会の住処
筆者が訪れたのは2018年12月22日の1時10分ごろ。この日が新宿二丁目のオンタイムが初めてだったからか、仲通り交差点付近の騒ぎに埼玉からひょっこり顔を出した田舎者には衝撃的だった。普通なら寝ている時間だ。
エレクトロビートの音楽が流れるメインストリート。店舗からはみ出して外で夜を楽しむ人たちの姿も目立つ。正直、ゲイタウンというイメージが強すぎたので、歌舞伎町のようにスーツ姿でただ酔っているだけの男性や女性の姿もあったことにも驚いた。
それにしてもとんでもないところに来てしまった。実は前回までの吉原や曙町にグルメ企画をやりに行く無茶なアイデアもの場所がキッカケでスタートした。企画の原点にして雰囲気の明るさも一番。ソープ街と異なり、0時過ぎでも信じられない騒ぎが起こっているにぎやかさも一番だ。そして良くも悪くもオープンな空気感か漂っているのも特徴に思える。
とはいえ、ちょっとメインストリートからそれると本当に営業中なのか疑わしい店も出てくる。ましてや路上に出ている人もいない。意味は違うが「明暗」とも感じられる雰囲気の違い。その空気感が交差するような交差点の一角に「クイン」はある。
赤いランプですぐに場所が分かった。上を見上げると電球の光。雑居ビルの狭い階段を上って中に入った。
ここは本当に新宿なのか―― 始めて訪れる筆者ですらほっと一息ついてしまう空間。店内奥のテレビや派手過ぎず年季で部屋に馴染んだ装飾品の数々など理由を挙げればきりがない。しかし、少し時間が経つと大都会の家庭的な空間という事実に興奮すら覚える。公園や空き地に秘密基地と称したスペースを確保したあのころのように。
そしてこの店に入った時に出迎えてくれるのが新宿二丁目の母とも呼ばれる加地律子さんだ。
接客を担当する律子ママ。調理はご主人が担当している。筆者が到着した1時台は営業を終えた二丁目界隈のお店の人より飲んだ帰り、これから出勤する人たちの方が多いという。確かに一杯ひっかけて気分が良さそうな中年男性。これから店に行こうか悩んでいる女性、終電を逃した若い男性がその場にいた。
クインはこれまでNHKやテレビ東京でも紹介された経験があり、メディアを問わなければ取材を受けた件数も相当なものだ。
そして「クイン」を取り上げる際、ほぼ必ずと言っていいほど出てくるのが律子ママの接客。「術」ではなく律子ママの人の好さが出ている。初めてくる筆者のような人間にも温かく接してくれる。酔って寝てしまった人は優しく肩を叩いて起こし、24歳の筆者には親との上手い付き合い方、「がんばれよ!若者!」とエールまで送ってくれた。ほかにも界隈の店の閉店開店情報や他愛もない話、何でも付き合ってくれる。
「何にするの? ご飯でも食べてくか?」そう言われて最初に注文したのはこの日の定食だ。日替わり定食は500円でご飯、味噌汁が付いてくる。
ハンバーグにかけられたデミグラスソースはほろ苦さもあるビターな味わい。付け合わせのキャベツともよく合う。手作りのポテトサラダもついており、こちらは優しい甘みだ。
肝心のハンバーグは小ぶりだが、旨味がギュッと引き締まった肉のモンスターボールだ。
中にはちょっと大きめにカットされた玉ねぎが入っている。ウェルダンのようにしっかり火が通った肉の中で玉ねぎが食感のアクセント。口の中で暴れるワイルドな肉のうまみ。それを制御するようなビターなデミグラスソースはご飯のおかずとして最強かもしれない。
少し余ったソースはご飯と絡めていただくが、どれにつけてもうまいことやってしまう。実はこのソースの前世は人付き合いの上手い策士だったのかもしれない。コミュニケーションが苦手な筆者はうらやましくてたまらない。
今回は1品では終わらない。もう一品、律子ママの勧める料理もいただいた。
美しい鮭の皮の焼き色が目を奪う「シャケのバター焼き」だ。ふわりと香るバターの香りも絶品だ。
こちらもしっかりと日が通っており少しハードな食感。しかし、程よくバターの風味を吸い取っている。醤油を少し足しても重く、油っぽくならない。軽いタッチでバターと鮭の旨味を楽しめる。そして忘れはならないのが鮭の皮。魚の味が最も染みこむ最高の部位だが、身を食べた時点で得た期待を大きく超えた。思考回路をショートさせ、放心状態になる快楽。程よい火加減と共に訪れる美味しさは効果抜群の射撃だ。
捨てる部分が全くない。全て食べつくしてしまうほど全身に味が染みわたっていた。
これだけでおなか一杯になってしまったが、律子ママの配慮でもう1品。紹介をさせていただいた。
安さも魅力的だが、値段を問わず美味しさを求める客のための食材も用意。この日は先のシャケ以外にぶりかまもオススメだったそうだ。
様々な需要に応える品ぞろえ。律子ママの接客もさることながら、料理でも気遣いとやさしさが見えてくる。
人と人とが交差し何かを生む世界。その中心でクインは輝き続けている。この店があるからこそ街が成り立っているのかもしれない。
取材を終えた後はドリンクを交えて、筆者と51歳年上の律子ママとの談笑を楽しんだ。
2丁目の生き証人として街を支えるゴッドマザーに別れを告げ、2時50分ごろ帰路についた。
(Jタウンネット編集部 大山雄也)