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<東京暮らし(7)>野村萬斎さんに聞きました

中島 早苗

中島 早苗

2018.12.30 11:00
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<文 中島早苗(東京新聞情報紙「暮らすめいと」編集長)>

狂言師で演出家の野村萬斎さんに話を聞く機会を得た。

萬斎さんといえば、2020年東京五輪・パラリンピック組織委から、同開閉会式・総合統括に指名され、今最も忙しい日本の顔としても知られる。

野村萬斎さんは1966年、東京都練馬区出身。父・万作さんは人間国宝(撮影/岡田晃奈)
野村萬斎さんは1966年、東京都練馬区出身。父・万作さんは人間国宝(撮影/岡田晃奈)

東京新聞Webでも、記者会見で萬斎さんが演出について「深い和の精神を発信したい」と発表した内容を伝えている。

インタビュー当日、袴姿で現れた萬斎さんはスレンダーで、何より姿勢が良い。写真撮影のために、稽古場の舞台でピタリと型を決めてくれた時も、微動だにしない。

「体幹トレーニングなど、何か特別に体を鍛えてらっしゃるのですか」との筆者の質問に、「いえ、しません。稽古が体幹トレーニングになっているのでしょうね」。

さすが芸歴約50年、お見事である。

伝統芸能の狂言師としての活動と、東京五輪・パラの式典の演出について、萬斎さんの話をインタビュー形式で記してみたい。

「生を謳歌する『復興五輪』にしたい」

――「日本の精神にのっとった演出」とは、どのようなものですか。

萬斎 五輪・パラは、戦争ではないスポーツという手法によって国が競い合う、平和的な祭典、祭りですよね。生きることを謳歌するのが、その本来の精神だと思います。一方、日本の祭りはもともと、先祖など死者の魂を鎮めるためにあり、今回は「復興五輪」でもある。その意味で、「鎮魂と再生」が一つのテーマになると思っています。失われた魂を思い、その「生」を継承してゆくと考えると、今生きていることの大事さがより強く感じられる。生命力の祭典であるからこそ、うしなわれたものに対する祈り、鎮魂も感じとれるような式典が、日本の精神に近いのかなと思います。

――「復興」とは3.11からだけでなく、という意味もありますね。

萬斎 はい、今や福島だけではなくて、熊本、北海道、関西など、日本の多くの地域に災害が起き、代送り的な死とは違う死が多くありました。また日本だけではなくて、各国でまだ戦争があり、地震や津波も起きている。世界中の、死と直面した方々の思いに寄り添いたい。死から生を考えるのが日本の精神ではないかと。それを心の片隅に置いたうえで、大いに生を謳歌する「復興五輪」にしたいですね。

――今回五輪・パラの開閉会式を、「4部作」と捉えていると。

萬斎 初めての試みなんですね。今まで五輪とパラは別であるという発想も強かったですが、莫大なお金がかかることを考えたら、なるべく共通意識を持って一つのものとして作った方が、流用できる部分もあるでしょうし。五輪だけで物事が終わってしまうことが多いので、パラにつなげて、4話完結にしたい。起承転結を感じて欲しいし、最終回まで興味を持って見ていただきたい。パラが2度目であることも東京の大きな特徴ですから、パラをどう盛り上げていくか。パラはこれからどんどん変貌していくんじゃないかなという気がしています。五輪の記録よりパラが上回る競技が、東京大会では出るかもしれません。興味が尽きないですよね。

――狂言では父・万作さん、息子・裕基さんと三世代揃ってのご活躍ですね。

萬斎 息子の私がいうのも変ですけれど、名人の芸域に達している父という世代がいて、私のような中間的な、一応キャリアを積んできた世代がいて、さらには息子、まだまだ修行の身ではありますが、イキのいい世代がいる。すると、パレットを広げたときの色のバリエーションが多彩というか、そういう意味では三世代揃っているのは、いい時期だと思います。ただ、一般的にはね、まだまだ能とか狂言を見ていない方もたくさんいて、これだけ地方ツアーをしたり普及活動をしたりしても、砂漠に水を撒いているような気がしないでもないです。我々の舞台はだいたい中劇場、観客数は1000人以下ですからね。

――パリでの「三番叟」三世代公演は連日盛況だったそうですね。

萬斎 息子はずいぶん伸びたなぁ、父はますます芸境に入ったなぁと感じますね。自分の目標(父)とかつての自分(息子)を同時に見るというね。目標がどんどん高くなるという言い方もできますね。それと、教える立場になり、自分の芸を客観視するようになった。「教えることは教わること」とはよく言われますが、そういうニュアンスはありますね。

――フランス人にどんな点が評価されたのでしょうか。

萬斎 フランスの方は日本文化への興味が強いなと感じました。それと、「三番叟」はまさしく鎮魂と再生の儀式であり、ダンスであるわけですが、その精神性、深さに対しては非常に反響がありましたね。そして世代それぞれに対して、反応があった。息子を見れば瑞々しさ、私を見ればダンシングとしての面白さを発見してくれるでしょうし、父に対しては87才の人間が動いている深淵さ自体に目がいくようです。30分近く一人で舞うのは、父には体力的に辛い。もしかしたら装束を着て舞うのは最後かもしれないと自分で言っていましたから。三番叟では大きな跳躍を3度するんですけれど、息子なら一生懸命飛ぶし、私はきれいに飛ぶし、父だったらほんの少ししか飛ばないし。87歳が息子や孫と競い合って高く飛んでも意味がない。型とかダンスとかいう部分を越えた人間の存在としての何かが見えてくるということなのでしょうか。連日満員でしたね。3回通った方がいたようにも聞いています。3世代見るためにね。
文化庁芸術家在外研修制度により、1994年から1年間イギリス留学も経験(撮影/岡田晃奈)
文化庁芸術家在外研修制度により、1994年から1年間イギリス留学も経験(撮影/岡田晃奈)

取材の日はたまたま季節外れの暑い日だったが、萬斎さんは汗一つかかず、丁寧に言葉を選びながらこちらの質問に答えてくれた。

涼し気で凛とした佇まい、スッと伸びた背筋。伝統芸能の担い手として50年間稽古をし続け、邁進してきた萬斎さん。

「日本の精神性」をテーマに繰り出す東京五輪・パラの演出はどんなものになるのだろう。

4部作というのも楽しみだ。4部全てが終わる日まで、影ながら応援し、成功を心から祈りたいと思う。

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