宝塚歌劇の聖地「Pasta」、ファンと歩んだ35年 歴代ジェンヌが愛した名店の歴史
沢山の人に支えられて
食後、ある程度混雑が落ち着いたタイミングで、創業時からずっと店を支えてきたマスターの妻・中川貴子さんにお話を伺うことができた。
創業の正確な年数は不明であるというが、55歳のご主人が20歳の時に始めたとのことで少なくとも35年は続いている。
宝塚に根付いた営業をしているが、元々は大阪・心斎橋で現在のご主人の父親が始めたお店。当時、イタリア料理の麺類と言えばスパゲティという呼び名しかなかった時代に「パスタ」の名称を使うのは斬新であった。
宝塚移転後の象徴的なメニューであるピラフ類は心斎橋での営業形態が喫茶店であったことの名残だという。
今でこそ宝塚歌劇団は切っても切れない存在になったが、いつからかかわりがあったのか、
「宝塚に移転してきた当初、2回目のベルばらブーム。一路真輝さんや天海祐希さんが出演していたときです」
と語る。この時からファンからタカラジェンヌへと店の評判が広がり始めた。
「出待ち・入り待ち」と呼ばれるタカラジェンヌの劇場の出入りをファンが張る。しかし、いつ誰が劇場に入るのかわからない。時期によっては外で待ち続けるのが難しい気候もある。そんな時に交代でファンが劇場を見張り、見張っていない者がパスタで待機した。これも劇場から近いからこそと言える。
また、私設ファンクラブのスタッフたちが頻繁に利用したことから徐々にファンの間で浸透。いつしかタカラジェンヌたちにも評判が届いて、差し入れの配達ができる店舗へと成長した。
「ファンの方がいたからこそ配達ができるようになりました」
こうした立地が生んだ「絆」は、ファンがいたからこそ生まれたものだという。
タカラジェンヌたちが直接、この店を知ることもある。宝塚音楽学校の生徒だったときにパスタを訪れる人が多く、先述の遼河はるひさんも在学中に頻繁に通っていた。そこから劇団員になると配達での注文でパスタの料理を注文する。
「先輩から後輩にも話がつながっているようで」
と、タカラジェンヌたちの間でも受け継がれる「伝統」としての歩みも始まっているようだ。