東京の実家で30年、アラサー男編集長が「移住」と初めて向き合った
今年30歳を迎えたJタウンネットK編集長。東京で生まれ育ち、小中高大、そして今の職場に至るまで、生活のほとんどを都内で過ごしてきた。いまも実家から編集部までは、ドアツードアで50分。とくに不自由ない生活を送っている。
そんなある日、福岡県北九州市の「お試し居住」プログラムを体験することになった。1000キロ離れた土地での「移住体験」を経て、思ったことは――。
「我が家」を拠点に、北九州市内を取材
北九州市には、これまで取材で2度来ているが、今回は単なる出張じゃない。わずか数日間だが、「住む」のだ。不安な気持ちもありながら、スペースワールド駅(JR鹿児島本線)へ降り立った。お試し居住の居住スペースは、ここからから7分ほど歩いたところにある。「我が家」となるのは1LDKのメゾネットタイプ。これまで実家暮らしだった私にとって、ひとり暮らしは「メゾネット」の意味を調べるところから始まった。
このご時世、ネット環境さえあれば、どこでも私の仕事はできる。取材レポートも書けるし、原稿チェックも問題ない。ほぼ電話が鳴らないから、むしろ快適なほどだ。昼のワイドショーをBGMに、洗濯物を干していると、(旅行感覚なのもあってか)「独立するのも案外楽しそうだ」と思えてきた。
ちょうど55年前、5つの市が合併する形で、北九州市は誕生した。巨大な市域には、玄関口の小倉をはじめ、製鉄所で栄えた八幡や、レトロな港湾都市である門司、のどかさも残る戸畑、若松と、市街地から自然まで、いろんな表情を見せる。通常業務の合間には、市北西部の若松エリアへも赴いた。
北九州で迎えた2日目の夜、親しい市職員さんと飲んだ。立場的には「お客さん」だが、土地ならではの心温かさもあって、プライベートな話もできるようになった仲だ。そんな相手と杯を重ねていくうち、こんな提案をされた。
「本当に、こっち移住してみたら?」
せっかくの縁なのだから、その懐に飛び込んでしまうのもアリかもしれない。しかし、いざ移住するとなると、働き方は一変する。どんな家に住み、どんな仕事を探そうか。家族やパートナーは、なんて言うだろう――。鹿児島本線に揺られながら、小倉からスペースワールドまでの約15分。ほろ酔いの頭で考えたが、答えは出ない。「お試し居住」をする人は、どんな気持ちで申し込んでくるのか知りたくなった。
移住の実情は?
私は翌朝、「お試し居住」利用者の現地コーディネートを行っている岩﨑克司さん(60)に、プログラムの現状をうかがった。岩﨑さんは、営業職の経験を生かし、2年半前から利用者からの「こういう人に会いたい」といった要望に応えるコーディネーターとして活動している。
――「お試し居住」をするのは、どういう世代が多いんですか?
岩﨑さん 圧倒的に50代以上ですね。60代や70代は、住環境を確認したいとか、農業やりたいとか、自分の趣味がしたいとか。趣味のコミュニティーや先生を紹介してあげたりとかは多いですね。
30代は、のびのびと暮らせるようなところで子育てしたいなって人。20代後半から30代初めで、「起業したい」と来る人もいますね。
――私はずっと東京なんですが、他県から移住してくる人も多いんですか?
岩﨑さん 圧倒的に県外からだけど、もともと北九州市出身の人は多いです。あとは近隣の宗像や豊前、中津、下関のほうから来るとか。両親が九州にいて、そこから割と近い都会に移り住みたい人もいます。あとは、家族は住んでないけど、好きな起業家が「北九州に来ない?」って言ってきたとか。やっぱり、人とのつながりがあります。
――つながりがあると、来やすいですよね。
岩﨑さん 一番のポイントは、人なんよ。街に溶け込めると、安心して移住できる。だから「最初の友達」は、私がなってあげればいいなって。「かかりつけ医」みたいに、日ごろから接点を持って、困っていたら紹介状を出してあげるスタンスです。
北九州市の魅力は「優しさ」
岩﨑さんは北九州市出身だが、大学進学で上京してから40代後半まで、ずっと東京で過ごしたという。転勤で戻ってきてから10数年。「県外」が長かったからこそ、客観的な視点で、地元を見られる部分もあるようだ。
――岩﨑さんから見て、北九州市の魅力は?
岩﨑さん 地に足が付いているところ。北九州の誇るべきところは、やっぱり文化と芸術、あと歴史。松本清張記念館や文学館、響ホール、芸術劇場など、市のアイコンになれる施設があります。一方で、買い物が好きな若い人は、小倉から博多まで新幹線で15分やけんね。そういう使い分けのできる都市なんです。あと食べ物。博多よりおいしくて安い。「角打ち」の文化もある。
――移住を考えている人に向けて、メッセージを頂けますか。
岩﨑さん やっぱり人が優しい。日本どこ行っても、「この町の人優しい」っていうけど、とりわけ優しいと僕は思います。なぜかっていうと、もともとモノづくりの町だったから、商売人じゃない朴訥とした人が多かった。言葉は荒いところもあるかもしれないけど、純粋なんです。
北九州市に住んでいる人は、5代前、10代前から住んでいるというよりも、全国各地から港湾とか筑豊炭田とかに来た人が多いんです。おそらくその頃の「人を受け入れて、一緒に仕事をする」というDNAが組み込まれているから、おせっかいなくらい気を使ってくるんです。テレビとかで言う「人がいい」とは、まったく違いますよ。それは、北九州に来てもらわないと、わからないかもしれませんね。
岩﨑さんいわく、北九州市が見習うべきは、東京や福岡市ではなく、スペインのバスク地方にある「ビルバオ」だという。鉄鋼で栄える港湾都市だったが、「鉄冷え」の時代には衰退。しかし、地元のバスク料理と、ビルバオ・グッゲンハイム美術館で、「美術と食の街」を打ち出してからは、再び活気が戻ってきたそうだ。
どうやら「人がいい」と思っていたのは、自分だけじゃなかったようだ。岩﨑さんによると、お試し居住プログラム後に移住したのは、だいたい全体の3割。ほかに3割が検討中だという。いますぐではないが、いつかは......。そう思う自分は「検討中」なのかもなと改めて思いながら、帰途につくK編集長なのだった。<企画編集:Jタウンネット>