戦時中の手榴弾が今も大量放置されている、埼玉の川原に行ってみた
割れた頭蓋骨が散乱しているかのよう
現場は荒川に架かる治水橋近くにある。
といっても手榴弾は荒川河川敷に廃棄されたのではない。明治時代以降、蛇行して流れていた荒川を改修したときに残った「びん沼川」だ。川というより湿地みたいだが、現在も若干水が流れている。
筆者が訪れた日は晴天続きで水量は少なかった。しかし雨量の多い時期になれば増水しないとも限らない。
探検を開始した筆者だが、サイクリングロードのような道は整備されていない。両岸は樹木に覆われ、しかもその手前は柵で進入禁止になっていたりする。
柵を乗り越え、茂みを横断し、川中に出たくなった。しかしウェーダーを用意していない。ジーンズにスニーカーという服装では無謀な冒険だ。
1キロ以上歩いてもそれらしきスポットが見つからない。もう諦めて撤退しようか――そう思っていた矢先、目の前に1台の自動車が停まっていて、さらに川の方から人の声が聞こえる。もしやと思い近づくと、柵はなく、しかも樹木が途切れていた。川原の方を見渡すと、4人家族が地面を掘っている。
筆者は斜面を下りた。川原に広がっていたのは、まるで割れた頭蓋骨のような陶器のかけら群だった。
白い陶片もあれば茶色に輝くきれいな陶片もあるが、しょせんは土くれ。周辺の景色に溶け込んでいるとはいえ、この状態が戦後ずっと続いているとは――。
筆者に発見のヒントを与えてくれた4人家族は、泥だらけで発掘作業をしていた。彼らのお眼鏡にかなう品は一つも見つからなかったようで、倦怠気味のママと子どもたちは、無我夢中でスコップを握るパパに撤退を促していた。
この場所は何度か新聞などで取り上げられている。資産価値の出そうなものはもう残っていないと思われる。