秋葉原の謎...万世橋の「小部屋&船着き場」は何のために作られた?【前編】
秋葉原駅電気街口を出て徒歩数分、神田川に架かる「万世橋」。アキバによく出かける人なら、一度はその名を目にしたことがあるはずだ。
ところで、そんな万世橋には、いまだ解明されていないある「謎」が存在する。今回のJタウン探検隊は、その解明に挑戦したい。
トイレの下にある階段と、使われていない船着き場
現在の万世橋は1930年(昭和5年)、関東大震災からの復興事業の一環として建造された。鉄筋コンクリート造り、風格あるその姿は、85年後の今もそれほど変わっていない。
そんな万世橋の謎とは? それは橋のたもとの地下にある、正体不明のスペースの存在だ。
まず1つは、橋の北東側。道路からつながる階段の先には、小さな「船着き場」のようなスペースが。さらにその脇には、重々しい金属製の扉があり、ここから橋の地下部分に入れるらしい。
橋に船着き場が併設されていること自体は、それほど珍しいことではない。ただ、この万世橋の船着き場は常に柵で閉鎖されており、ほとんど使われている形跡がないのだ。
もう1つは、反対の南東側。公衆トイレの真下にあるのは、やはり川に面した小さなスペースと、小部屋への入り口だ。
望遠レンズで撮影してみると、スペースの中には地上とつながる階段があることがわかる。だが、その地上にはトイレが建っているため、ざっと見た限りでは立ち入る術が見つからない。一応手入れがされている北東側のスペースとは対照的に、その黒ずんだ壁や床からは、相当長いこと放置されていることがうかがえる。
これらのスペースは橋の東側(下流側)にだけあり、西側(上流側)にはない。一体、何の目的で作られたのか?
30年前にはすでに謎
情報収集を開始した探検隊は、つい最近別件の取材で、北東側のスペースに立ち入った男性記者に話を聞くことができた。
「橋の建設と同時に作られて、国が管理しているということだが、担当者も由来はよくわからない様子だった。今は神田祭で神輿を運ぶときなど、稀に使われているらしい」(男性記者)
ほとんど使われていないにしても、とりあえず屋外の部分は「船着き場」であることは間違いないようだ。だが、併設されている小部屋は? また、南東側のスペースは......?
次いで向かったのは、郷土資料を多く所蔵する区立千代田図書館。各種書籍を調査すると、この空間の「謎」は、30年近く前から「謎」として知られていたことがわかった。1986年に刊行された伊藤孝『東京の橋―水辺の都市景観』(鹿島出版会)には、以下のような一文がある。
「万世橋でいつも議論になることがある。それは、下流側の橋詰に造られた地下室の用途は何だったのかという疑問である」
橋の建設から半世紀余りが経ったこの時点で、すでにこの空間の用途がわからなくなっていたことが確認できる。
ブラタモリでも登場した万世橋誕生秘話
同書には、2つの説が提示されている。
(1)トイレ
(2)川の水位計などの器具置き場
また、『東京今昔橋めぐり』(ミリオン出版、2013年刊)という別の書籍には、
(3)東京地下鉄建設時に使われた機械室
という、上記2つとはまた別の説がある。Wikipediaの「万世橋」の項目も、(3)説だ。
まず(1)。前述のとおり、南東側の小部屋の上には、現在公衆トイレが設置されている。元の小部屋をつぶしてトイレを作ったということは、その小部屋もトイレだったのでは――確かにありそうな話に思える。
次いで注目したいのは、(3)。
実は万世橋のちょうど真下には、東京メトロ銀座線が並行して走っている。この区間の工事が行われたのは1929~31年。神田川の川底を横断するという一大事業で、そのトンネル掘削は東京市(当時)の手により、ちょうど架け替えが決まっていた万世橋建造と並行して進められた。この難工事に当たり、採用されたのがトンネルの上に万世橋を「乗っける」工法だ(ちなみにこの工事は、「ブラタモリ」でも紹介されたことがある)。
上記の図は、『東京地下鉄道史』(1934年)から引用したもの。こうして見ると、トンネルと橋が「一体」の構造であることがわかる。
前置きが長くなったが、こうしたトンネル工事のため、作業スペースとして件の小部屋や、付属する船着き場が作られた――この説も、かなり説得力はある。
果たして真相は......? 調査を進めた探検隊は、ある有力な情報と出会うことになる。
【後編に続く】