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平和記念資料館から、被爆資料が「撤去」された日

ご当地テレビ視聴隊

ご当地テレビ視聴隊

2015.09.05 07:54
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被爆資料撤去!1958年「広島復興大博覧会」

映像には、1958年に行われた「広島復興大博覧会」の様子も記録されています。この時、平和記念資料館は原子力科学館へ名前を変えました。開館翌年の、1956年には「原子力平和利用博覧会」の会場にもなっています。

被爆者で、元館長の原田浩さんは、当時高校生でした。原田さんは、「マジックハンドがあるとか、原子力飛行機の模型があるとか、そういったことに目をひかれたというのが、偽らざる気持ちだったんじゃないかと思いますね」と当時の思いを振り返ります。

この時、被爆資料は資料館から撤去されました。それには、アメリカの意向が反映されていたのだといいます。

映像には、ヨハネ・パウロ2世やカーター元米大統領、マザー・テレサ、ゴルバチョフ元ソ連大統領、ダライ・ラマ14世など、平和記念資料館を訪れた、数々の要人たちの姿が残されています。被爆資料は60年間、世界中に被爆の悲惨さを訴え続けてきました。

被爆の実像をより効果的に伝えるべく、平和記念資料館では、今リニューアル工事が行われています。これからの資料館はどうあるべきなのか、被爆者でもある原田さんは、こう提言しました。「被爆体験が原点なので、その原点をしっかりわきまえ、踏まえた上で次にどう展開していくのか、そこは是非、心の中に留めていただきたい。そういう風に思っています。」

開館60年の平和記念資料館。時の流れとともに、被曝の悲惨さを伝える責任の重さは、増してきています。被爆者の数がだんだんと減っていっているという事実も、重責を増やす要因になっているように思えます。(ライター:haruhana)

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