都構想で「西成」の地名が消える? 大阪No.1ディープ地域の今後は
物価の安さは衝撃的
地名としては残っていないが、「あいりん地区」はかつて釜ヶ崎と呼ばれた。1896年にマッチ工場が建てられ、1920年代には市内有数の人口密集地となった。ところが空襲で焼け野原に。敗戦直後にバラックが立ち並び、1950年に阿倍野公共職業安定所西成労働出張所公的機関が移転する。しかし、仕事をあっせんしたのはヤミ手配師だった。
1960年代の高度成長と1970年の大阪万博で労働需要はピークを迎える。一方で行政は、同年にあいりん労働福祉センター、翌年に市立更生相談所をそれぞれ設置する。
その数年後にはオイルショックが起き日本経済は曲がり角を迎える。1990年代から続くバブル崩壊は長期化し、この地に住む労働者は高齢化していった。
あいりん地区の特徴は、簡易宿泊所や日払いアパートが極めて多いことと、物価の安いこと。それに目を付けた外国人バックパッカーも増えているという。
あいりん地区に来てみた。ここも同じ日本なのか?と思った。 pic.twitter.com/GMjNSuHOyc
— Kimura (@512kimura) 2015, 4月 4
あいりん地区のホテル。物価がおかしい。これでも高い方らしく、探せば1000円切るところもあるとか。 pic.twitter.com/oO6nNJZMkJ
— こいわい みうら ???@療養中 (@miura84) 2015, 4月 3
今日はあいりん地区をふらふらしてきました。あと、大阪民が揃って口にするスーパー玉出散策してまいりました。思ったより普通でした。
しかし、途中あった自販機が衝撃的でしたね。 pic.twitter.com/eQZJ0DfrwB
— エレト (@eletyo) 2015, 3月 29