都構想で「西成」の地名が消える? 大阪No.1ディープ地域の今後は
大阪府と大阪市の二重行政を解消しよう――橋下徹大阪市長が唱える「大阪都構想」。住民投票で賛成票が1票でも上回れば、現行の大阪市の24区は5区に再編される公算だ。
その中で、(都構想自体への賛否はひとまず置くとして)気になる話が出てきた。橋下市長が2015年4月9日、都に移行することのメリットを同市浪速区の街頭で訴えた中で「おそらく西成という名前は消えると思います」と述べたのだ。
デイリースポーツオンラインが報じたところによると、都構想の説明会で市民の意見を聞いて回ったところ、西成区では「名前を消したい」という意見が多数であるためだと同市長が説明したという。
大阪駅や新大阪駅周辺も「西成」だった
西成=日雇い労働者の集まる街というイメージが強い。大阪出身者に尋ねても「行かない」という声はよく耳にする。「消したい」と答えた人は、そうしたネガティブなイメージを払しょくしたいという思いがあるのだろうか。
ところが名前の由来である西成郡は、西淀川区・淀川区・東淀川区・此花区・福島区・北区・港区・西区・中央区・大正区・浪速区・西成区に広がっていた。
大ざっぱにいって大阪市の北部と西半分が「西成」だったのだ。
上の地図を拡大すると――福島駅との中間に西成郡役所がある。大阪駅周辺は1897年の第1次拡張で市域に編入されたが、その前は西成郡曾根崎村だった。その名残りということか。
本来であれば郡内に移設すべきところ、役所をそのままにしておいたということは――西成郡全域を大阪市に編入することは既定路線だったのかも。
ちなみにJR大阪駅とユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)の最寄り駅を結ぶ桜島線(愛称は「ゆめ咲線」)の前身は西成鉄道という私鉄だったし、淀川に架かる淀川大橋の前身は「西成大橋」だった。これだけ見たらキタこそ西成の本流と言えそうだ。
区域の名称がどうやって決まったのかは不明だが、今宮町・玉出村・粉浜村・津守村からなる西成区が成立したのは1925年のこと。さらに1943年に区の境界線が変更された結果、現在の面積は東京都千代田区の63%の広さしかない。
物価の安さは衝撃的
地名としては残っていないが、「あいりん地区」はかつて釜ヶ崎と呼ばれた。1896年にマッチ工場が建てられ、1920年代には市内有数の人口密集地となった。ところが空襲で焼け野原に。敗戦直後にバラックが立ち並び、1950年に阿倍野公共職業安定所西成労働出張所公的機関が移転する。しかし、仕事をあっせんしたのはヤミ手配師だった。
1960年代の高度成長と1970年の大阪万博で労働需要はピークを迎える。一方で行政は、同年にあいりん労働福祉センター、翌年に市立更生相談所をそれぞれ設置する。
その数年後にはオイルショックが起き日本経済は曲がり角を迎える。1990年代から続くバブル崩壊は長期化し、この地に住む労働者は高齢化していった。
あいりん地区の特徴は、簡易宿泊所や日払いアパートが極めて多いことと、物価の安いこと。それに目を付けた外国人バックパッカーも増えているという。
あいりん地区に来てみた。ここも同じ日本なのか?と思った。 pic.twitter.com/GMjNSuHOyc
— Kimura (@512kimura) 2015, 4月 4
あいりん地区のホテル。物価がおかしい。これでも高い方らしく、探せば1000円切るところもあるとか。 pic.twitter.com/oO6nNJZMkJ
— こいわい みうら ???@療養中 (@miura84) 2015, 4月 3
今日はあいりん地区をふらふらしてきました。あと、大阪民が揃って口にするスーパー玉出散策してまいりました。思ったより普通でした。
しかし、途中あった自販機が衝撃的でしたね。 pic.twitter.com/eQZJ0DfrwB
— エレト (@eletyo) 2015, 3月 29
東成郡だった飛田新地
西成を有名にしているもう一つのスポットが「飛田新地」だ。1916~1918年頃、原っぱだった場所に、曽根崎や難波の遊郭が行政の指定により移転してきたがキッカケだ。大阪市内における遊郭としては後発組。
他所では見られない建物が軒を連ねるのは空襲で焼け残ったため。1958年、遊郭は料亭街に移行した。
飛田新地は料理組合の組合員によって厳しく自治管理されている。撮影しようものなら関係者が飛んできて、ただでは済まないともっぱらの噂。
その背景には、彼女たちの働いた足跡が残らないようにする=女性の再出発を容易にする――という意図がある。
ハルカス300から見る飛田新地!! pic.twitter.com/tsRPXeQZx2
— いんてぐらる (@intgrllllllllll) 2015, 4月 1
飛田で親方を10年務め、現在はスカウトマンをしている男性が書いた「飛田で生きる」(徳間書店)には、内部の人間しか知ることのできない話が詰まっている。2010年に発売された単行本は2014年に文庫化され、Kindle版も出ている。
文庫版のあとがきで著者は次のように記している。
「最近、私がとくに感じるのが、飛田で働く女の子の質が落ちているということです」
「理由は、他業種への流入です。飛田の最大の特徴は、短時間でたくさん稼げること」
「しかし最近、ホテヘルのバック率が上がっており、そちらに女の子が流れているのです」
「スカウトマンの私からすれば、飛田とホテヘル、女の子を送り込む先が二つに増えたようなものですから、うれしいといえばうれしい。一方で、100年近い歴史を持つこの街が、このまま衰退していくのではないか、という危機感を持っているのも事実です」
「この危機を乗り越えるために必要なのは、親方の営業努力だと私は考えています」
ちなみに飛田遊郭ができたときの住所は「東成郡」だった。1925年に住吉区となったが、1943年の区境調整で西成区へ移る。同じく編入された天下茶屋は大阪の下町らしい雰囲気だ。このように、西成といっても多様な顔がある。
西成が官庁街に?
大阪都構想が実現した場合、西成はどうなるのか。
大阪維新の会の公式サイトによると、大阪市は5つの特別区に再編される。西成は中央・天王寺・西・浪速と一緒になり、新「中央区」を構成する。
その中長期目標には次のように記されている。
「西成地区の官庁街化
・西成地区を行政の中心に生まれ変わらせます」
橋下市長は西成を若い世代も安心して住めるような町にすると宣言している。
4月12日に投開票が実施された大阪府議選で、大阪維新の会は第1党の座を維持したものの、過半数割れとなった。
大正区および西成区選挙区は、定数2に対し4人が立候補し、大阪維新の会と公明が議席を分け合った。都構想に反対する自民と共産の候補2人は落選したが、住民投票は果たして――。