神戸の歴史ある「処女塚」、一時「乙女塚」に改名? その真相に迫る
万葉の歌にも詠まれた悲恋の伝説
この処女塚という一風変わった地名は、古代から残るある悲しい伝説に由来している。
神戸市の観光コンベンション課のウェブサイトから引用しよう。
この地に美しい乙女(菟原処女(うないおとめ))が住んでおり、多くの求婚者がいましたが、特に熱心だった2人(和泉(いずみ)(大阪府南部)の"血沼壮 士(ちぬおとこ)"と地元の"菟原壮士(うないおとこ)")が武器を持っての争いとなり、乙女は立派な若者を自分のために争わせたことを嘆いて死んでしま います。
2人の若者もそれぞれ後を追って死んでしまい、それを哀れに思った人たちが、後々に語り伝えるために3人の塚を築きました。
この伝説は、万葉集の中では、高橋虫麻呂や大伴家持の歌として残されている。また平安時代の「大和物語」では、2人 の若者が水鳥を弓矢で射て乙女を争うストーリーとして紹介された。
後の時代にも、謡曲「求塚」や森鴎外の戯曲「生田川」などとして、たびたび取り上げられている。