さよなら隠れた仙台名所「X橋」
仙台の東西主要ルートの一部だった
初代のX橋が建設されたのは大正時代。
江戸時代から戦前まで仙台の東西を走るメイン道路といえば、仙台城大手門から東に延びる「石巻街道」(元寺小路と名掛丁)だった。
これが東北本線開通によって分断されてしまう。線路東側の仙台城址には陸軍の施設、一方の西側には練兵場(現在の宮城野原公園総合運動場。宮城球場のあるところ)があった。当初は踏切が設置されたが、東北本線の輸送量が増えるにつれ往来に支障をきたすようになった。
1921年、陸軍の要請により初代のX橋は開通した。
市を襲った大空襲を橋は耐え抜く。下の写真は、1946年に仙台駅上空から撮影された写真。東北本線の線形は「(」になっていて、中央付近に「>-<」の構造物がある。これがX橋だ。
戦後の混乱期からしばらくは、米兵や娼婦、身寄りのない人が周辺に集まり、独特の雰囲気を醸し出していたという。小説の舞台にもなった。
現在の仙台は戦後の区画整理によって広い道路が縦横に貫く。かつてほどのにぎわいはないけれども、旧X橋は完成当時の雰囲気をよく残していた。
しかし駅の東西で再発が進み、片側1車線では増大する交通量に対応しきれなくなったことから、新しい橋に架け替えられることが決まった。新宮城野橋は一部完成し片側1車線が開通している。2年後には3車線になる予定だ。
AERから「宮城野橋」「X橋」を見下ろす
新幹線高架をくぐる左側が新橋、右側が旧橋 pic.twitter.com/YKhX7Rw4Rl
— hiro (@t_tanutan) 2013, 11月 14
新しいX橋の照明には、Xが!
広くて夜でも明るくなってます。 pic.twitter.com/OZ33fJwiB5
— 榴岡のお膝元|鉄砲町の町民 (@teppomachi) 2013, 11月 1
レトロな雰囲気を醸し出しているレンガアーチ等についてどのような形で保存するか、市も検討しているという。