膵臓がんの進展に関与するタンパク質・(プロ)レニン受容体の作用部位をAIで推定
~多機能性の鍵となる分子間相互作用の特徴を世界で初めて説明~
2022年12月9日
国立大学法人東海国立大学機構 岐阜大学
膵臓がんの進展に関与するタンパク質・(プロ)レニン受容体の作用部位をAIで推定 ~多機能性の鍵となる分子間相互作用の特徴を世界で初めて説明~
【本研究のポイント】
・研究グループはこれまでに、(プロ)レニン受容体[(P)RR]というタンパク質の特定領域2カ所に対する抗体がヒト膵臓がん細胞に対する増殖抑制を示すことを報告していました。
・タンパク質構造予測人工知能(AI)ツールによって(P)RRの立体構造モデルを構築し、上記2領域と天然変性領域(本来の性質として柔軟な構造をもつ領域)で構成される手のような形状の溝が受容体表面に存在することを明らかにしました。
・この溝を作用部位として、(P)RRは相互作用タンパク質を結合・係留する足場タンパク質(scaffold protein)として機能すると提案しました。
・ 本研究は、(P)RRの多機能性を生むメカニズムの理解や、がんを含む疾病に対する新たな治療法の開発に役立つものと期待されます。
【研究概要】
国立大学法人東海国立大学機構岐阜大学応用生物科学部の海老原章郎教授、自然科学技術研究科生命科学・化学専攻の杉原大揮さんらの研究グループは、香川大学、重井医学研究所、バングラデシュ・ダッカ大学との国際共同研究で、膵臓がんの進展に関与するタンパク質・(プロ)レニン受容体注1)の作用部位をタンパク質構造予測人工知能(AI)ツールで推定しました。
研究グループはこれまでに、受容体細胞外領域上の特定領域2カ所に対する抗体注2)がヒト膵臓がん細胞の増殖抑制を示すこと、特定領域の一つに対するモノクローナル抗体がWntシグナル伝達注3)の抑制を介して実験動物でのヒト膵臓がんの進展抑制を示すことを明らかにしていました。しかしそれら特定領域の機能的な意味は未解明のままでした(図1A)。本研究では、2021年に公開された高正確な立体構造予測AIツールAlphaFold2を用いて(プロ)レニン受容体の立体構造モデルを独自に構築しました。解析の結果、膵臓がん進展に関与する上記特定領域と柔軟な構造を特徴とする天然変性領域注4)から形成される溝が受容体表面に存在することを突き止め、この溝がWntシグナル関連タンパク質との相互作用部位として機能すると提案しました(図1B)。本研究は、(プロ)レニン受容体の多機能性を生むメカニズムの理解や、がんを含む疾病に対する新たな治療法の開発に役立つものと期待されます。
本研究成果は、2022年12月9日に日本高血圧学会の欧文誌Hypertension Researchで発表されます。
【画像:https://kyodonewsprwire.jp/img/202212050796-O8-U1vT649Q】 図1 本研究の概要図
【研究背景】
膵臓がんは早期発見と治療が難しいことで知られています。膵臓がんでは、多くの遺伝子や染色体の異常が生じるとされており、これが治療を困難にしている原因と考えられています。一方、本研究の研究対象である(プロ)レニン受容体[(P)RR]は血圧調節酵素レニンとその前駆体プロレニンに結合する一回膜貫通タンパク質として発見されましたが、その後の研究で、細胞増殖やがんの進展に関与するWntシグナル関連タンパク質や細胞内小胞の酸性化に寄与するV-ATPase複合体の構成因子など、様々なタンパク質との相互作用が報告されています(図1A)。これらの相互作用タンパク質のアミノ酸配列注5)には顕著な共通性は認められず、(P)RRが多様なタンパク質を広く認識し結合する性質を統一的に説明する仕組みは分かっていません。
これまでに、研究グループの香川大学・西山成教授らはWntシグナル依存的な膵臓がん進展において(P)RRが必須の役割を担うことを明らかにしました。さらに研究グループは膵がん中和抗体の開発を目指して (P)RR細胞外領域に対するモノクローナル抗体(標的アミノ酸番号:200−213)を作成し、その抗体がWntシグナルの減衰を介し実験動物でのヒト膵臓がんの進展抑制を示すことを明らかにしました。その研究過程で、(P)RRの細胞外領域に位置する2領域(アミノ酸番号:47−60と200−213)に対する抗体がヒト膵臓がん細胞の増殖抑制を示すことを見いだしていました。この結果はそれら2領域がWntシグナル伝達に関係することを示唆しているものの、その機能的な意味は未解明でした(図1A)。
タンパク質はアミノ酸がつながった紐のような物質として作られます。タンパク質は紐のままでは機能せず、アミノ酸配列(つながったアミノ酸の順序)に従って折りたたまれます。その際、アミノ酸番号が近い部分で局所的構造をとる場合もあれば、アミノ酸番号が離れた部分が3次元空間的に近接し機能部位注6)をつくる場合もあります。そのような折りたたみを受けたタンパク質に関する立体構造情報は機能を知る上で大変有用ですが、その情報取得には通常、タンパク質を一つ一つ調製し実験的に構造を決定する必要があります。しかも実験的な構造決定には年単位の試行錯誤を要することもまれではありません。本研究着手当時(そして現在も)、膵臓がん進展に関与する(P)RR細胞外領域の立体構造は実験的に解き明かされていませんでした。
2021年、実験的構造決定に匹敵する高い正確性でタンパク質立体構造を予測できる人工知能(AI)ツールであるAlphaFold2とRoseTTAFoldがそれぞれ公開されました。構造予測に必要な情報は目的タンパク質のアミノ酸配列のみで、それらAIツールを無料で利用可能なWebサイトを使って誰でも数時間の計算で構造を導くことが可能です。研究グループはその高い予測確度と利便性に注目し、AIツールで予測した立体構造モデルによって上記2領域の機能的役割や(P)RRの多機能性(様々なタンパク質と相互作用する能力)を解明できるのではと考え、本研究を立案しました。
【研究成果】
(1)予測構造に基づき膵臓がん細胞の抗増殖効果に関与する領域の特徴を明らかにしました
研究グループはまず、立体構造予測AIツールAlphaFold2で予測された(P)RRの立体構造モデル(図2A)の特徴を調べました。その結果、細胞外領域は折りたたまれた部分(アミノ酸番号:17−269)と折りたたまれていない部分(アミノ酸番号:270−296)からなると分かりました。(P)RRを細胞膜に固定する役割をもつ膜貫通ドメインは、これまでの知見通りの立体構造と性質(疎水性の表面を有するらせん構造)を示していました。次いで研究グループは、AlphaFold2と同時に公開された別の立体構造予測AIツールRoseTTAFoldでも(P)RRの立体構造モデルを構築し、その予測構造がAlphaFold2による構造(図2A)とほぼ同じ特徴を有していることを確認しました。
一般に、タンパク質機能において重要な役割を担うアミノ酸残基は3次元空間的に近接して機能部位を形成します。さらにそれらの機能上重要なアミノ酸残基は生物進化の過程で高度に保存され、ファミリー注7)を形成するタンパク質群のアミノ酸配列を比較した際に計算される「進化的保存度」と呼ばれる指標が高いことが知られています。そこで、膵臓がん細胞に対する増殖抑制を示す抗体が作用する領域(アミノ酸番号47−60および200−213)の3次元空間分布を、AlphaFold2による立体構造モデルを用いて調べました。その結果、これら2つの領域は連続した表面部位を形成していました(図2B)。さらに同構造モデルを各アミノ酸残基の進化的保存度で色分けしたところ、2つの領域、特に47−60残基領域の表面は進化的に高度に保存されていました(図2C)。これらの結果から、膵臓がん細胞実験で見いだした重要領域(47−60および200−213)が、膵がん進展に重要なはたらきを担っていると分かりました。
【画像:https://kyodonewsprwire.jp/img/202212050796-O9-6j023zfP】
図2 予測構造に基づき注目する2領域の特徴を調べる
A: (P)RRの予測立体構造。(P)RRを構成する350アミノ酸残基に対して、予測信頼度が高い順に青、シアン、黄色、オレンジで色付けされている。番号はアミノ酸残基番号を示す。この予測構造はAlphaFold2データベースに登録番号AF-O75787-F1で公開されている。
B: 膵臓がん細胞の抗増殖効果に関与する2領域は連続した表面部位を形成する。アミノ酸番号:47−60を赤色で、200−213を青色で示す。
C: 進化的保存度で色分けした図。進化的保存度が高い残基を紫色で、保存度が低い残基を緑色で表した。2領域は進化的に高度に保存されていると分かる。
(2)立体構造予測AIツールで(P)RRがホモ二量体化する要因を明らかにしました
これまでに研究グループは、(P)RRが細胞外領域を介しホモ二量体注8)を形成することを明らかにしていました。そこで、立体構造モデルを使ってホモ二量体化の鍵となる細胞外領域を詳しく調べました。その結果、細胞外領域の折りたたまれた部分(アミノ酸番号:17−269)は半球形を呈し、その平らな面は進化的保存度が高いアミノ酸残基で形成されていました(図3A)。そこで研究グループは、この平らな面がホモ二量体化形成に関わっているのではないかと予想し、AIツールAlphaFold2を用いて(P)RRのホモ二量体形成能を評価しました。その結果、予想通り、平らな面を背中合わせに2分子の(P)RRが二量体を形成しました。
これを踏まえ、研究グループは全長ヒト(P)RR(アミノ酸番号:17−350)に対するホモ二量体立体構造モデルを構築しました(図3B)。(P)RRのホモ二量体には、アミノ酸番号47−60と200−213からなる連続した表面部位が表と裏の2カ所に存在します。興味深いことに、ホモ二量体を構成する一方のタンパク質の折りたたまれていない部分(アミノ酸番号:270−296)が、他方のタンパク質の47−60領域の上に突出し、その領域上に“ふた”を形成していました(図3B)。“ふた”の部分は、研究グループの先行研究(アミノ酸配列解析)で推定していた天然変性領域に相当します。一般に、天然変性領域はその構造の柔軟性から同じ領域を利用して複数のタンパク質と結合できることが知られています。現時点で(P)RRにおける天然変性領域のはたらきは報告されていませんが、膵がん進展で着目した重要領域(47−60および200−213)と天然変性領域からなる“ふた”が立体的に近い位置に存在することから、両者の間には機能的関連性があると研究グループは考えました。
【画像:https://kyodonewsprwire.jp/img/202212050796-O10-nK1DxTft】 図3 予測構造に基づきホモ二量体化の可能性を調べる
A: (P)RR細胞外領域を進化的保存度で色分けした図。折りたたまれた部分(アミノ酸番号:17−269)は半球形をなし、凸な面と平らな面を備えている(図中央)。中央をそれぞれ90度回転したものを左と右に示した。平らな面は薄紫色、すなわち進化的保存度の高いアミノ酸残基で構成されていると分かる。
B: 全長ヒト(P)RR(アミノ酸番号:17−350)に対するホモ二量体立体構造モデル。2つの(P)RRタンパク質を灰色とシアン色で、膜貫通領域を黄色で表示している。膵臓がん細胞に対する増殖抑制を示す抗体が作用する領域(アミノ酸番号:47−60および200−213)をそれぞれ赤と青で示す。
(3)ホモ二量体構造に基づきタンパク質相互作用部位を推定しました
構造モデルを詳しく調べた結果、細胞外領域には手のような形をした溝が存在することが分かりました(図4A)。手のひらは膵臓がん細胞抗増殖効果に関与する2領域(アミノ酸番号:47−60と200−213)に相当し、表面には疎水性の性質を示す進化的に保存されたアミノ酸残基が配置されていました。その特徴より、特異的結合(一対一結合)ではなく様々なタンパク質を広く認識する相互作用(一対多結合)が想定されます。一方、指は天然変性領域からなる柔軟な“ふた”に相当し、天然変性領域の特徴から複数のタンパク質と結合できる一対多結合が考えられます。つまり(P)RRは、ホモ二量体形成によって手の形をもつ溝を2カ所生み出し、この溝がタンパク質相互作用部位として機能する可能性、そしてその作用部位はこれまで未解明だった一対多結合を統一的に説明しうる特徴を備えていることを研究グループは突き止めました。
本研究が提案する作用機構は以下です。これまでの知見よりWntファミリータンパク質の一つWnt3aは関連タンパク質であるFZD8とLRP6(図4B)の両者に結合し、シグナルを細胞内に伝えます。一方、(P)RRは細胞外領域を介しWnt非依存的にFZD8とLRP6と相互作用すると判明しています。(P)RRは、上述の溝を作用部位としてWnt非依存的にFZD8とLRP6を結合し、それらを空間的に近くなるよう係留する足場タンパク質注9)として機能すると考えられます。そのような結合・係留機構はWntシグナルへの効果的な応答を実現するために有利であると考えられます。
【画像:https://kyodonewsprwire.jp/img/202212050796-O11-2zI1xIMB】
図4 ホモ二量体構造に基づき推定したタンパク質相互作用部位
A: 見いだした(P)RRのタンパク質相互作用部位。受容体細胞外領域上に手のような形をした溝が存在し、この溝で(P)RRはタンパク質を結合・係留すると考えられる。
B: 細胞膜上における(P)RRとWntシグナル関連タンパク質(FZD8とLRP6)との位置関係。
【今後の展開】
本研究では、立体構造予測AIを進化的保存度と過去の実験結果を融合し、(P)RRの作用部位を推定しました。そして(P)RRがこの部位でWntシグナル関連分子を含む様々なタンパク質を広く認識し、それらを結合・係留する足場タンパク質として機能すると提案しました(図4A)。今後は、(P)RRと様々なタンパク質分子との間の相互作用を詳細に調べ、(P)RRの多機能性を支える相互作用能力(一対多結合)を実験的に検証することが必要です。その仕組みが解明できれば、(P)RRが関与する高血圧や膵臓がん等の疾病発症の解明に加え、中和抗体を含む(P)RRの機能調節に基づく新たな治療法の開発に役立つものと期待されます。さらには、従来の「模式図生物学」(図1A)からAI活用による「実体生物学」(図1B)への転換により、タンパク質機能の理解を深めた成功例として位置づけることができるのではないかと考えています。
【論文情報】
雑誌名:Hypertension Research
タイトル:Mapping the protein binding site of the (pro)renin receptor using in silico 3D structural analysis
著者:Akio Ebihara, Daiki Sugihara, Makoto Matsuyama, Chiharu Suzuki-Nakagawa, A.H.M. Nurun Nabi, Tsutomu Nakagawa, Akira Nishiyama, and Fumiaki Suzuki
DOI番号:10.1038/s41440-022-01094-w
論文公開URL:https://www.nature.com/articles/s41440-022-01094-w
【用語解説】
1)(プロ)レニン受容体:
血圧調節酵素レニンとその前駆体プロレニンに結合する一回膜貫通タンパク質として発見された。その後の研究により、細胞の分化・増殖ならびにがんの進展に関与するWntシグナル関連タンパク質や、細胞内小胞の酸性化に寄与するV-ATPase複合体の構成因子など、様々なタンパク質との相互作用が報告されている。
2)抗体:
免疫反応を引き起こす外来物質(抗原)を認識し結合するタンパク質。モノクローナル抗体とは均一な1種類の抗体で構成され、抗原上の特定構造だけを認識し結合する抗体を指す。抗原が体内で作用するより前に抗体が結合すると、その抗原を無力化することが可能となり、そのような抗体は中和抗体と呼ばれる。本研究では受容体の特定領域に対する抗体に着目しているが、Wntシグナル伝達より先にその抗体が受容体に結合すると、Wntシグナル関連タンパク質が受容体に作用できなくなると考えられる。
3)Wntシグナル伝達:
細胞の分化・増殖に重要な役割を果たすシグナル伝達経路で、Wntシグナル伝達機構の異常によりがんを含む様々な疾病を発症する。Wntと呼ばれる分泌タンパク質が細胞膜に存在する受容体タンパク質(本文ではWntシグナル関連タンパク質と標記)と結合し、Wntシグナルを細胞内に伝える。
4)天然変性領域:
生理的条件において明確なおりたたみ構造を形成していないタンパク質の部分(領域)。本来の性質として柔軟な構造をもち、結合分子に応じて自身の形を変えて相互作用することが知られている。ヒトのタンパク質において、天然変性領域に含まれるアミノ酸残基の割合は35~50%であると推定されている。
5)アミノ酸配列:
タンパク質を構成する20種類のアミノ酸のつながりを示す情報。例えば、(プロ)レニン受容体は350個のアミノ酸がつながっているが、これらのアミノ酸の結合順序を示す文字情報(350文字)として表現される。
6)機能部位:
機能発揮に必要な官能基を配置した表面部分。官能基とは特徴的な構造と化学的性質をもつ分子内の原子または原子の基。
7)ファミリー:
タンパク質や遺伝子について、アミノ酸配列の類似性が高いものをまとめたグループ。一つのファミリーの中のタンパク質や遺伝子は共通の祖先となる遺伝子から進化の過程で発生したと考えられている。
8)ホモ二量体:
同一のアミノ酸配列を持つ二つのタンパク質が相互作用して一つの構造体としてまとまった分子。タンパク質が単独ではなく複数が寄り集まり構造体を形成することで、単独の時にはない機能的な利点が生まれる。
9)足場タンパク質:
複数のタンパク質を互いに引き寄せるタンパク質を指し、引き合ったタンパク質同士は近接し合い、結合したり化学反応を起こしたりする。シグナル伝達に関連するタンパク質に共通してみられる。英語ではscaffold proteinと表現される。
【研究者プロフィール】
海老原 章郎(えびはら あきお):論文筆頭著者、論文責任著者
岐阜大学 応用生物科学部 教授
岐阜大学 生命の鎖統合研究センター(兼任)
岐阜大学高等研究院 先制食未来研究センター(兼任)
インド工科大学グワハティ校化学工学科 客員教授
杉原 大揮(すぎはら だいき)
岐阜大学大学院 自然科学技術研究科生命科学・化学専攻 修士2年生
松山 誠(まつやま まこと)
重井医学研究所 分子遺伝部門 部長
中川 千春(なかがわ ちはる)
岐阜大学 応用生物科学部 博士研究員
A.H.M. Nurun Nabi(エイ.エッチ.エム. ヌルン ナビ)
バングラデシュ人民共和国 ダッカ大学 生化学分子生物学科 教授
中川 寅(なかがわ つとむ)
岐阜大学 応用生物科学部 教授
西山 成(にしやま あきら)
香川大学 医学部 教授
鈴木 文昭(すずき ふみあき)
岐阜大学 名誉教授