Withコロナ、Afterコロナの「道しるべ」/気がついたら茹でガエル?!
東京・信濃町にある真生会館の理事長を務める森一弘さんは、カトリック司祭(神父)の立場から、キリスト教について学びたい人や宗教に関わらず、人生そのものや生きるということについて考えたいと思う人たちのために、さまざまな講座・講演会を主宰すると同時に、50年以上もの間、相談に訪れる多くの悩める人や苦しむ人に向き合い、その声に耳を傾け続けてきました。
11月28日に新発売される『「今を生きる」そのために』(扶桑社)では、
そうした森さんの長年の体験から、誰しもに覚えのある「苦しみ」や「不安」「心の傷」怖れ」「無関心」などについて、それらをどのようにとらえ、そこからどのようにしたら抜け出せるかを、具体例を交えながら、わかりやすく紹介しています。
もちろん、現在の状況についても記されており、コロナ禍に覆われ、明日への見通しもままならない日々が続くなかにあって、どのような姿勢をもって生きていけばよいのか、あるいは、どのようなことができるのか.....一人ひとりが「生きる」ということにあらためて真剣なまなざしを向けざるを得ないようになった2020年。
明日を拓いていくためのきっかけを見いだしていけるように、7つの章から成る本書に因み、今日から7回にわたって、本書の内容を紹介していきます。
第1回 「気がついたら茹でガエル?!」
『茹で蛙』の寓話を聞いたことがあるでしょうか。
変温動物の蛙は、熱湯のなかにいきなり放りこまれると熱くて飛び出してしまうけれど、鍋の水のなかに入れて、じわじわと温度を上げていくと熱くなったことに気づかないまま茹であがってしまうという話です。
本書の7章「共感する力を育てる」やエピローグ「コロナ禍の今を生きるために」でも触れられていますが、これは笑っていられない話なのです。
コロナ禍という誰も経験したことのない事態になっても、現代では、ネットで買い物ができたり、オンラインで友人たちと食事しながら安全に話ができたりするわけですが、そうやって過ごすうちに、面倒なことを考えたり、自分で判断したりすることができなくなっているのかもしれません。心地よい環境で過ごすことは心を癒してくれますが、それだけを追い求め、それだけを優先してしまえば、知らぬ間に大切なものを失っていき、気づいたときには大変なことになっているのではないか。
著者は、今から70年近くも前に書かれた「華氏451度」という小説のなかに出てくる仮想世界の人々の暮らしを紹介しながら、警鐘を鳴らします。そこに出てくる人々のほとんどは、日々の快適な暮らしになんの不満もなんの疑問も感じず、ただ送られてくる映像や娯楽番組だけに満足しています。中央政府に反して、自分の意思で選んだ書物は家ごと華氏451度の火で燃やされてしまうのです。
ぬるま湯に浸かっているのはたしかに気楽で、心地よいことかもしれません。しかし、何も考えずに、ただ言われるがままに行動していれば、それはその人自身の生活とは言えないでしょう。
今を生きていくために、私たちには何ができるのか?
第1回 気がついたら茹でガエル
第2回 まずは「この私」にエールを!
第3回 自分自身のアップデートを怠らない
第4回 死を忘れないことが生きることにつながる
第5回 家族と一緒にいる今だからできること
第6回 相手に真剣に接すれば言葉はもっと生きてくる
第7回 悩みを吹き飛ばすには、今を丁寧に生きること