「早朝、パジャマのまま自宅から逃げ出した私。まだ3か月の娘を抱きかかえ、開いてる店に駆け込むと...」(兵庫県・60代女性)
1階にあった食堂に飛び込むと...
その頃、1階には明け方から開いている食堂があり、思わずそこに飛びこんだ私。
ある程度揺れがおさまると、お店のお母さんが「娘さんをみててあげるから着替えてきなさい」と言ってくださり、避難準備をしに部屋に上がることができました。
その後も、お店に戻った私に「ご飯を食べなさい」と食堂のご飯を出してくださって、ご迷惑とか感じる余裕もないほど怖かった私は、しばらくお店に居させて頂きました。
8時ごろになると、お店の方の家が明石の海岸近くにあって心配ということで、お店は閉められることに。「この後は避難所に行きなさいね」と申し訳なさそうに仰って、おにぎりまで持たせてくださいました。
きちんとお礼を言ったとは思いますが、朝食の食事代すらお支払いをしていません。
その後、避難所にいた所を実家の両親が迎えに来てくれて西宮へ避難することになり、そのまま引っ越してしまいました。
ずっとお店の方にお礼を言いに行きたかったのですが、離婚をしたこともあり生活が安定せず......。
いつかは娘と一緒にお礼を言いに行きたいと思い続け、ようやくお店を訪ねることができたのは、震災から10年以上経ってから。しかし、その時にはもう、お店は無くなっていました。