「早朝、パジャマのまま自宅から逃げ出した私。まだ3か月の娘を抱きかかえ、開いてる店に駆け込むと...」(兵庫県・60代女性)
シリーズ読者投稿~あの時、あなたに出会えなければ~ 投稿者:Yさん(兵庫県・60代女性)
Yさんには、お礼を伝えたい人達がいる。
それは、約30年前に住んでいたマンションの1階にあった食堂のお母さんとお父さん。
1995年1月17日の早朝、自宅からパジャマのまま飛び込んでいったYさんに、優しさを与えてくれたという。
<Yさんの体験談>
1995年1月17日。阪神大震災の朝の事です。
当時、夫は九州に出かけていて、生後3か月の娘と2人きりでした。
明石市和坂稲荷町で震災にあった私は、寒さも忘れてパジャマのまま娘を抱き、マンションの1階に走って逃げました。
1階にあった食堂に飛び込むと...
その頃、1階には明け方から開いている食堂があり、思わずそこに飛びこんだ私。
ある程度揺れがおさまると、お店のお母さんが「娘さんをみててあげるから着替えてきなさい」と言ってくださり、避難準備をしに部屋に上がることができました。
その後も、お店に戻った私に「ご飯を食べなさい」と食堂のご飯を出してくださって、ご迷惑とか感じる余裕もないほど怖かった私は、しばらくお店に居させて頂きました。
8時ごろになると、お店の方の家が明石の海岸近くにあって心配ということで、お店は閉められることに。「この後は避難所に行きなさいね」と申し訳なさそうに仰って、おにぎりまで持たせてくださいました。
きちんとお礼を言ったとは思いますが、朝食の食事代すらお支払いをしていません。
その後、避難所にいた所を実家の両親が迎えに来てくれて西宮へ避難することになり、そのまま引っ越してしまいました。
ずっとお店の方にお礼を言いに行きたかったのですが、離婚をしたこともあり生活が安定せず......。
いつかは娘と一緒にお礼を言いに行きたいと思い続け、ようやくお店を訪ねることができたのは、震災から10年以上経ってから。しかし、その時にはもう、お店は無くなっていました。
忘れられない優しさと、おにぎりの味
あの時のお店のお母さん、お父さんの優しさとおにぎりの味が忘れられません。
そして、しっかりお礼が言えなかったことに悔いが残り続けています。
あの時助けて頂いたおかげで娘は今では母となり、私は61歳。2人ともそれぞれに幸せに暮らしています。
お会い出来るなら改めて御礼が言いたいです。
あの時の御恩は一生忘れません。
「おつう食堂」のお母さん、お父さん。本当にありがとうございました。
誰かに伝えたい「あの時はありがとう」「あの時はごめんなさい」、聞かせて!
名前も知らない、どこにいるかもわからない......。そんな誰かに伝えたい「ありがとう」や「ごめんなさい」を心の中に秘めている、という人もいるだろう。
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