「食堂で250円の最安メニューを毎日食べ続けてた俺。その日も同じ注文をしたら給仕のおばさんが...」(栃木県・50代男性)
シリーズ読者投稿~あの時、あなたに出会えなければ~ 投稿者:Mさん(栃木・50代男性)
約20年前、ある時計会社で働きだしたばかりだったMさんは、栄養失調で倒れてしまった。
というのも、節約のために昼食は社食で一番安い「ソバ」だけを食べていたからだという。しかし復帰後、彼はまたしても「ソバ」を注文し......。
<Mさんの体験談>
今から20年ほど前、とある時計会社で働いていた時のこと。
昼食は社食でとっていたのだが、当時まだ働きだしたばかりで金もなかった俺は、毎日毎日一番価格の安いソバ(当時250円)ばかりを食っていた。
趣味もなく、コンビニも近くにない、自宅と仕事場の行き帰りのほかには何もない生活。楽しみといえば麺ソバを食うことくらい。生活費を切り詰めるためにそんな生活を3か月程度繰り返していたら、栄養失調状態になり会社を休むことになった。
ソバしか注文していないが...
体調回復後、職場復帰して2日目の昼のこと。社食に行って列に並び、同じメニューを頼んで給仕されるのを待った。心中は「さっさと飯食って、仕事場のメンテナンスをしなければならない」と急いでいた。
そして、俺の番がきた。なぜかソバの隣に大きい唐揚げが2個乗っている小皿が置いてある。
給仕のおばさんに「僕はソバ以外頼んでいない」と言おうとして彼女の顔をみたら無言の圧。
「いつもソバばかり食べてるから唐揚げ一つでも栄養つけなさい。だから食べなさい」と言わんばかりに小さくニコっと笑って、次の人の給仕に行ってしまった。他の人のトレーを見ても、唐揚げの小皿が乗っているのはやはり俺だけだった。
「毎日毎日ソバしか食っていない俺だったから、給仕のおばさんに心配をかけていたんだな」と思った。
ありがとうという言葉が言えずにそのままになって、少し時間が経ったころ俺の転勤が決まった。
横顔はなんとなく、母に似ていた
この機を逃したらきっとこのままで終わるだろうと、あの時のお礼を述べたいと社食室に挨拶に行ったのだが、給仕のおばさんはすでに本部に帰社していた。
おばさんは、社員食堂の運営を行う会社に所属している方で、当時50代後半に見えた。今となっては、亡くなっている可能性もあると思います。
俺は人見知りの激しい人間で、挨拶もたいしてできず、ありがとうの一言を言えなかったことが今も心残りです。俺の栄養状況を考えてくださり、口のところで人差し指を立てて「しぃ~っと」(内緒ね)とサインしたこと、なんか忘れられないです。唐揚げうまかった。横顔は何となく俺の母に似ていたのもあることも印象深い。だから今も気になっています。元気にしていらっしゃるだろうかと。
人とのつながりが欠如することが多い世の中、心配をしてくれる人がいると思えただけでも俺は幸せです。
唐揚げの件があった翌日からソバだけでは栄養が偏るから、無理をしてでも一品余計につけるようにしました。売り上げ協力もかねて。この歳になっても唐揚げを見ると給仕のおばさんの顔を思い出す。
俺ね、最後の日、お礼を兼ねて、おばさんにきっと似合うだろうと思ってハンドメイドの銀細工アクセサリーをこさえて行ったんだ。もっと積極的に行動できていたら差し上げることができたと思うと申し訳なく思います。今もその銀細工は手元にある。そしてその時の食券もある(忘れたくないために残してあるのです)。
あの時は本当にありがとう。今は結婚して家庭をもち一人じゃない。人並みに幸せな日々を送っています。となりに家族がいるだけでも俺は幸せです。
所属先の会社にあなたが退職したということだけは伺いました。だからかな、どこかでこの記事を見てくれるととてもうれしい。たくさんのありがとうを伝えたい。
誰かに伝えたい「あの時はありがとう」、聞かせて!
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