「冥界に迷い込んだ心地がしました」 頭蓋骨うずたかく積まれた「山の洞窟」発見される→ここは何?地元に聞いた
祠の周りに無数の骨が転がっている──そんな不気味極まるスポットが、ツイッター上で注目を集めた。
こちらは、熊本県在住のツイッターユーザー・埋火(@akeyoake)さんが2022年10月30日に投稿した写真。薄暗い洞窟の中に石でできた祠があり、その周囲には数えきれないほどの白骨が!
しかもよく見ると、何やらどれも顔の長い動物の頭蓋骨のようだ。自然と転がっているにしては、あまりにも数が多すぎる気がする......。
埋火さんの投稿には、ツイッター上でこんな声が寄せられている。
「こりゃ凄い」
「映画の世界かと思うほど霊妙な場所ですね」
「領域展開とかでありそう」
ここは一体、どういう場所なのか。Jタウンネット記者は11月1日、写真について埋火さんに話を聞いた。
「信仰の息づかいを感じる静謐な空間」
埋火さんが話題の祠を発見したのは夏の終わりごろ。大分県臼杵市にある白鹿権現という場所だった。この場所をどうやって知ったかは覚えていないものの、一度訪れてみたいとずっと思っていたという。
「おびただしい獣の骨の洞窟ですが、古来から連綿と続く猟師達による敬虔な祈りの場なので、おどろおどろしさといった印象を伝えるというよりはむしろ、仄暗い信仰世界の魅力が多少なりとも伝わればといいなと思ってシャッターを切りました」(埋火さん)
猟師たちによる祈りの場――そう聞くと、たしかにただただ不気味なだけではなく、神聖な雰囲気も感じられる。
「沢山の亡骸があるせいか、現世というよりは冥界に迷い込んだ心地がしました。不思議と怖さはなく、信仰の息づかいを感じる静謐な空間でした」(埋火さん)
この場所にはどのような由来や謂れがあるのだろうか。
Jタウンネット記者は14日、臼杵市教育委員会に詳しい話を聞いた。
地元での呼び名は「シシ権現」
取材に応じた文化・文化財課の担当職員によると、白鹿権現は地元では「シシ権現」と呼ばれている。
1741年に書かれた、かつての臼杵藩領内の神社や寺の由緒などをまとめた文献「寺社考」でも、「穴権現」(読み方は不明だが『穴』を『シシ』と読ませる可能性があるとのこと)という名称で記されているそうだ。
「成立時期ははっきりしませんが、同文献によれば、臼杵市の熊野社の系統の神社として1146年年に村人が宮社を建立したと記されています。また、シシ権現の近くには14世紀ごろに建てられたと思われる石塔がありますので、このころには信仰を集めていた場所だと言えるでしょう」(担当職員)
また、「寺社考」にはその由来についても次のように記されているという。
「豊後国大野郡宇目水ヶ谷の猟師である清王太郎と二郎というふたりの兄弟は、目の前を走り過ぎた鹿を捕えようとして追いかけた。(中略)ふたりが西神野の山穴にたどり着くと、鹿が近くの熊野三社権現に姿を現した。神仏が鹿の姿で現われたものと考えた村人は、久安2年(1146年)に宮社を建立した」
その後、文献に登場する猟師の兄弟が宇目の出身であったことから、江戸時代には宇目の人々が猟で獲った鹿革を献納していったそうだ。
猟で獲った猪の骨とお神酒を奉納
しかし、どんな経緯で「白鹿権現に鹿の骨をお供えする」という風習が生まれたかは不明だという。
「ただ、現在ではかなり広範囲にわたって信仰を集め、『野津町誌』(かつて大分県南部にあった野津町に関する記録)によると、地元や宮崎県の猟師の方がお正月にその年の猟がうまくいくようにとお参りをして、猟で獲った猪の骨とお神酒を奉納すると書かれています」(担当職員)
現在、白鹿権現は神聖な領域として地元住民が管理しているとのことだ。
なお、文献に「鎖場」(登山者が岩場などを登るための鎖が設けられている場所)と記されているように、同地までの道中には鎖をつたってほぼ垂直の断崖絶壁を登る非常に危険な箇所があるという。
「霊場として意識される住民の方もおられますので、興味本位で立ち入ることは控えた方がよいでしょう」
と担当職員は注意を呼び掛けた。