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虐待から逃れ、夜の街を彷徨う中学生 声をかけてくるのはブルセラ目的のオジサン...行き場のない彼女に1人のホームレスが与えたもの

井上 慧果

井上 慧果

2022.11.20 08:00
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シリーズ読者投稿~あの時、あなたに出会えなければ~ 投稿者:Wさん(東京都・40代女性)

中学生の頃、母親から虐待を受けていたWさんは夜は家に帰らず、新宿を徘徊して過ごしていた。

事情も聞かずに家へ帰らせる補導員、「パンツを売って」と金銭をちらつかせてくるサラリーマン......。大人を信用できず、行き場のない彼女はある日、1人のホームレス男性に出会った。

行き場のなかった女子中学生の私に...(画像はイメージ)
行き場のなかった女子中学生の私に...(画像はイメージ)

<Wさんの体験談>

もう30年も前のことになります。当時、中学生だった私は、被虐待児でした。

父は私が物心つくかつかないかという頃に家庭の外に女性を作って帰ってこなくなり、母は「お前は父に似ている」「私一人で苦労してお前を躾けている」と言いながら私に暴力を振るい続けました。

小学生の頃には自死を考えましたが死にきれず、中学生になってからは家に帰らず、夜の街を徘徊して過ごすようになりました。

補導員などに見つかってしまうと、強制的に家に帰されます。

彼らは「叱るのは、お母さんがあなたを愛しているからよ」「大人になれば、お母さんの気持ちが分かるわよ」などと言うばかりで私の話をまともに聞いてはくれませんでした。

母親からの理不尽な暴言や暴力を「愛」だと言い、「受け入れて感謝しろ」と言うばかりの大人と社会を、当時の私は信じるに値しない自分の敵だと認識していました。

人気のない場所にいると、「パンツ売ってくれない?」

ネットカフェなどもまだない時代で、行き場のない私は繁華街から少し離れた公園のベンチなどに座って時間を過ごすこともありました。

しかし、そうするとサラリーマン風の男性などが近づいてきて「パンツ売ってくれない?」などと金銭をちらつかせることもしょっちゅうです。一か所に長居するのは危険だと学習してからは、夜の街を転々と歩き回るのが常でした。

夜の繁華街を徘徊していた(画像はイメージ)
夜の繁華街を徘徊していた(画像はイメージ)

私がいつも過ごしていたのは新宿でした。

新宿駅は東口に行くとナンパやキャッチが多く、どうしても空腹で仕方ない時などはそれを利用できる場所でした。代わりに身の危険も大きく、尊厳や心を傷つけられることも覚悟しなくてはなりません。

一方、ビジネス街の西口は夜になると人気もなく静か。少しでも身体を休めたい時は、こちらを歩き回ってベンチなどを探しました。

その日は新宿中央公園にいましたが、「パンツ売っておじさん」に遭遇してしまい、今夜はこれ以上ここにいられないと判断した私は、次の居場所を探して歩き出しました。

声をかけてきたのは寄せ集めの格好をしたおじさん

確か、寒くなりはじめていた季節でした。新宿駅の西口ロータリーまで少し時間をかけて歩きましたが、それでもまだ時刻は4時前。始発も動き出していません。

少しでも座りたかった私はモザイク通りの入口にある段差にしゃがみこみました。

その瞬間、どこかに監視カメラでもあったのでしょうか。スピーカーから「そこで座り込まないでください」というアナウンスが刺々しく流れました。

言いようのない腹立ちを飲み込み、私は立ち上がりました。

けれど、どこに行ったらいいのだろう。立ち尽くす私に、声をかけてきたのは見知らぬおじさんでした。

ブルセラや買春目的の男性ではないと思いました。

彼らはきちんとした身なりをしていて、対価の金銭をちらつかせてきます。しかし目の前の男性は、寄せ集めだと一目で分かるちぐはぐな服装にボサボサと伸びた髭を生やしていました。ホームレスなのだろうと分かりました。

ちぐはぐな服装と伸びっぱなしの髭のおじさん(画像はイメージ)
ちぐはぐな服装と伸びっぱなしの髭のおじさん(画像はイメージ)
「どうした、大丈夫かい。おっちゃんがあったかいコーヒーおごってやるよ」

おじさんはそう言って笑うと、歩き出しました。

家に帰れない子供にとって、飲食の機会はとても貴重です。身の危険があれば走って逃げればいい、駅の明るいところを離れなければ大丈夫。そう考え、私は彼についていきました。

おじさんが私にしなかったこと

おじさんはロータリーを離れることなく、近くにあった自販機の前で立ち止まるとポケットをひっくり返し、出てきた小銭で缶コーヒーを2本買いました。そして

「甘いのがいいよな」

と片方を私に差し出してくれました。

おじさんの仕草は、とても見覚えのあるものでした。ポケットや鞄を漁ってなけなしの小銭を探すのは、私もしばしばやることだったからです。

だから、もらったコーヒーがどれだけのご馳走か、私には分かりました。私の口からは自然と「ありがとうございます」という言葉が漏れました。

おじさんと私はそのままガードレールに腰かけ、一緒にコーヒーのプルタブを開けました。

2人で缶コーヒーを飲んだ(画像はイメージ)
2人で缶コーヒーを飲んだ(画像はイメージ)

始発まで、他愛もないことを話した気がします。

残念ながら30年も前の会話なので子細はもう記憶に残っていません。ただ確かなのは、おじさんが私に対して説教も、私の親を擁護することも、一切しなかったことです。

「昔はおじさんも羽振りが良かったんだ」と、そんなことを楽しげに話してくれたのをおぼろげに覚えています。

だんだんと空が白みはじめ始発が出る時間になり、ぽつぽつと人の姿が見え始めた頃、私たちは別れの挨拶を交わしました。

私は学校へ。おじさんは、何処へ行ったのでしょうか。

新宿駅西口の地下広場はホームレスのコロニー化していると、社会問題になっていた時代。当時の都知事がホームレスを強制的に駅地下から追い出し、戻ってこられないよう座れないタイプのオブジェを大量に設置したのはそれから間もなくのことです。

おじさんにまた会えないかと駅周辺を歩き回り、その光景を目の当たりにしたとき、私は言葉を失くしました。

私の言葉がおじさんに伝わることは、きっとないような気がします。

それでも、もう一度おじさんに言いたかったお礼をここで書き記します。

ありがとう。あなたは私を助けてくれた、本当に数少ない、立派な大人でした。

誰かに伝えたい「あの時はありがとう」、聞かせて!

名前も知らない、どこにいるかもわからない......。そんな、あの時自分を助けてくれた・親切にしてくれた人に伝えたい「ありがとう」を心の中に秘めている、という人もいるだろう。

Jタウンネットでは読者の皆様の「『ありがとう』と伝えたいエピソード」を募集している。

読者投稿フォームもしくは公式ツイッター(@jtown_net)のダイレクトメッセージメール(toko@j-town.net)から、具体的な内容(どんな風に親切にしてもらったのか、どんなことで助かったのかなど、500文字程度~)、体験の時期・場所、あなたの住んでいる都道府県、年齢(20代、30代など大まかで結構です)、性別を明記してお送りください。秘密は厳守いたします。

(※本コラムでは、プライバシー配慮などのため、いただいた体験談を編集して掲載しています。あらかじめご了承ください)

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