5Gで「ヒロシマ」と世界がつながる スマートグラスの向こうに見えた「新しい景色」と平和の形
1945年8月6日午前8時15分――。
これが、何か分からない人はいないだろう。広島に原子爆弾が投下された時刻である。
あれから77年。広島市は「恒久の平和を誠実に実現しようとする理想の象徴」として形作られてきた。爆心地周辺は「平和記念公園」として整備され、園内には原爆の爪痕を生々しく残す原爆ドームなどの施設や、平和への祈りが込められたモニュメントが数多く存在している。
そんな場所で、ある実証実験が行われた。2022年3月16日のことである。
その実験が目指したのは、「70億人と一緒に巡り、体験し、つながり合う広島」というコンセプトを実現すること。
いったい何が行われたのか。その取り組みをご覧いただこう。
原爆ドームを見れば、「戦前」の姿が目の前に
2人の男性が自転車を停め、向き合っている。場所は原爆ドームのすぐ近く。
なにか特別なことが行われているようには見えないが......もう少し、彼らに近寄ってみよう。
注目してほしいのは、両者が目につけているもの。実はこれ、メガネ型デバイス(スマートグラス)の一種「Google Glass」なのだ。
縁の右上部分に小さな四角いディスプレイがついていて、かけている人の視界に広がるのは目の前の光景と、ディスプレイに表示された文字や映像が重なったもの。
実証実験中は、原爆ドームの前でGoogle Glassを装着すると、こんな光景が見える。
現在の「原爆ドーム」を目の当たりにしつつ、原爆投下前の「広島県物産陳列館」の姿と比較することができるのだ。筆者もGoogle Glassを着用したが、現在と過去の姿が同じ視線の先に見えることで、原爆という存在の恐ろしさがかつてないほどリアルに迫ってきた。また、ガイドによる日本語の解説は、資料が出力される小枠に英語で表示されていたので、日本語がわからない人でもハンズ・フリーで目の前の光景に集中できるだろう。
広島では現在、この技術を活用した「サイクリングツアー」を行おうとしている。
デジタルデバイス活用で臨場感や没入感を
実証実験の主体となったのは、16年から自転車ガイドツアー「sokoiko!(ソコイコ)」をスタートし、観光事業を通じて広島を始め長崎や東京などの歴史や魅力を発信するmint(広島市中区)。
同社代表取締役の石飛聡司(いしとびさとし)さんは、こう語る。
「Google Glassを用いることで、ツアー参加者は紙の資料を見ながらガイドの話を聞く必要がなくなり、より臨場感や没入感を感じることが可能になると思いました。
また日本語ガイドを字幕で表示することによって、同時に違う言語を母語とするゲストや聴覚障害者も不自由なく巡ることができるかなって」
sokoiko!は、事業開始以降2000人以上のゲストを案内した実績を持つ。電動自転車に乗って平和記念公園をはじめとした被爆遺構を巡り、広島の戦前から戦時中、そして戦後復興のストーリーを地元民だからこそ知っているエピソードとともに紹介してきた。
ただ、ガイド1人が担当するのは多様な母語を持つ1~10名ほどのゲストで、1人のガイドが英語だけではなく複数の言語で案内することは難しい。また同時に案内できる人数が限られるといった課題もあったという。
その課題を解決するために石飛さんが活用したのが、広島県とNTTドコモ中国支社による取り組み「5G LOVE & PEACE Lab.」。ここで、5G(第5世代移動通信システム)を活用して広島を「もっと楽しく、もっと便利に、もっともっと好きになる」ためのアイディアコンテストを開催していたのだ。
「世界中の方が参加するツアーで、多様な母語がある中で、それぞれの方の言語に合わせたガイドを同時にすることができないか。また、そのガイドの熱量をそのまま伝えることができる方法はないだろうか」
そう考えた石飛さんは、字幕が目の前に現れ、資料が浮かび上がるという、映画のようなツアー形態を思いついた。
それを可能にするのが、「多数同時接続」「低遅延」という特徴をもつ5G通信。これを使えば、ガイド中の様子を配信してより多くの人にツアーを体験してもらうことや、ガイドが説明する内容を同時通訳してスマートグラスなどのデバイスに出力し言葉の壁を超えることを目指せる。
「5G LOVE & PEACE Lab.」のアイディアコンテストで採択されたプロジェクトには、NTTドコモが提供するGoogle Glassといった「5G関連機器」アセット等が無償で提供されるため、チャレンジにはうってつけだ。
ちなみにGoogle Glassの縁にはディスプレイだけでなくカメラも搭載されているので、5Gエリアである平和公園周辺をサイクリングする人が装着すれば広島の街を巡っている様子を世界中にリアルタイムで配信できる。
つまり、コロナ禍で広島に来ることが難しい遠方に住む人でも、タブレットなどを通じて映像を見られるのだ。
また、Google Glassを使った多言語対応の面で現在実装されているのは、日本語から英語、英語から日本語、日本語から日本語の3パターンの翻訳のみだが、今後は異なる言語への対応もしていきたい考え。
石飛さんは低遅延という特徴を持つ5G通信でリアルタイムに近い速度で翻訳したり、機器の進化によっては画像の出力だけでなくAR(拡張現実)や大容量の動画を活用したりして、「ツアーでのガイドの表現方法の幅を広げていきたい」と今後の展望を述べる。
「通常のツアーも続けながら、さらに多様なお客さんにお応えできるように、新しい付加価値をつけて事業をやっていきたいですね。今後は字幕の精度を上げることやAR表示に対応させるなど、取り組んでいくことは多いですが、しっかりと一歩一歩課題をクリアしながら頑張っていきます!」(石飛さん)
これからもmintとNTTドコモはパートナーシップを継続し、商業化を目指していくという。
同プロジェクトに関わる広島県商工労働局イノベーション推進チームの片岡達也主任も、mintの取り組みに期待を寄せる。
「mintさんからは、実証だけにとどまらず実装化していきたいという想いが強く感じられます。
これから事業の中で広島県民のみならず他県民や外国の方が利用できるものを世の中に送り出してもらえることは県としても非常にありがたいことです。引き続き実装に向けて期待しております」
5Gを活用することで、広島の観光が進化しようとしている。
みなさんがどこに住んでいたとしても、この「新しい体験」ができるようになる日は、きっとそんなに遠くない。
<企画編集・Jタウンネット>