「家族を支えるため、新聞配達に励んだ小学生時代。辛い思いばかりだったが...忘れられない朝の出来事」(大阪府・70代男性)
貧乏な子供の私は、昨夜がクリスマスイヴだったことを知りませんでした――。
Jタウンネットが、皆さんの思い出に残っている、親切にしてくれたあの人へ「『ありがとう』と伝えたいエピソード」を募集したところ、大阪府の70代男性O岩さん(仮名)から、一通のメールが届いた。
それはO岩さんがまだ小学6年生だった、昭和30年――1955年のこと。
家は貧しく、父と病弱な母、弟のため、高校1年生の兄とともにO岩さんは新聞配達の仕事をしていた。
真冬の早朝から新聞を配ることは大変で、あかぎれた手が千切れるように痛かったという。
一番辛かったのは、冬の夕刊配り。まだ手元に新聞が残る午後6時頃、通りかかった家から夕飯を支度する匂いと湯気が漂って来た。
それに彼と同い年くらいの子が母に甘える声まで聞こえてきた時は、涙が止まらなかったという。
新聞配りは、どうしようもなく辛かった......。でも、そんな彼には、ひとつだけ忘れられない思い出がある。
それは12月25日のことだった。