「急な出張で乗った年末の新幹線。何とか席を確保したのに、知らない家族のせいで立ち続けるハメに」(大阪府・50代男性)
私は心が狭い人間なのでしょうか――。大阪府在住のN夫さん(50代男性)がJタウンネット編集部宛に一通のメールを寄せた。
20年程前に新幹線内で体験した出来事を、いまだに許せないのだという。
年末、急な出張に行くことになった彼。自由席に座るため、駅のホームに30分前から並んでいた。
その甲斐あって、窓際席をゲット。隣の通路側には老婦人が座っていたという。
しばらくすると車内は混雑しはじめ、通路に小さな娘を連れた母親が立った。子供は当然、「座りたい」と駄々をこねる。
でも彼は、努力して手に入れた席を譲りたくなかった。
そうこうしていると、老婦人が母子に席を「座る?」と問いかけた。さすがに若い自分が座っているのは、申し訳ない。だから、N夫さんは婦人に席に留まってもらい、母子に場所を譲ったのだが......。
クリスマス前の祝日、通路にも人があふれ......
ずっと心に引っかかる、未だに釈然としない出来事があります。
私の心が狭いのか?相手が非常識なのか?みなさまからの意見を聞きいてみたいです。
20年程前の12月23日。天皇誕生日で祝日でしたが、仕事上のトラブルで急遽、静岡の取引先に出張することになりました。
指定席を窓口で予約しようとしましたが完売。さすがに新大阪から静岡へ立ち乗りではつらいので、自由席を確保すべく早朝の新大阪発の新幹線に、30分前から並びました。最前列でした。
無事、なかほどの窓際の席を確保。隣の通路側席には70代ぐらいの品のある老婦人が座っていました。
新大阪を出て少し仮眠。気がつくと岐阜あたりで、180%ぐらいの乗車率......。通路にも立ち乗りの人がかなり溢れていて満員電車のような状態でした。
クリスマスの季節ということもあり、東京ディズニーランドに行くような家族連れも多かった感じです。
ふと気付くと、シート横の通路に3歳ぐらいの娘を連れた母親が立っていました。
悪い予感はしたのですが、案の定、すぐに娘が
「座りたい」
とグズり出しました。
乗車時間の短い在来線ならば当然、譲るべきシチュエーション。ですがこちらも祝日に妻子を家に残して急な仕事、自分は早起きもするなど、自由席を確保するための相応の努力もしています。
彼女たちはきっと、クリスマスの家族旅行。以前から計画していたはずなのに、幼い子どもがいるのに指定席も取らず、譲ってもらおうとしている......。
そんな無計画な人は自業自得だと思い、席は譲らないことに決めました。
すると、老婦人が見るに見かねて、
「座る?」
と席を譲ろうとしました。さすがに老人に席を譲らせ若い私が座っている状況には耐えられません。
私は席を立ち、膝の上に娘を抱いた母親が、そこに座ることになりました。
心の中で、「まあ仕方ないか」と思い、1時間程経ったときのこと。
ある光景を見てしまい、怒りを抑えるのに精一杯でした。
なんと、娘の父親が......
新幹線が数駅ほど通過したころ、子どもが出口の方をキョロキョロ見だしました。
老婦人が「どうしたの?」と聞くと
「パパが座れたか心配なの」
よくよく見ると、出口に近いところで、パパらしき人がこの娘に手を振っているのが見えました。
老婦人は「パパが座れててよかったね」と言っていましたが、私は釈然としない思いになりました。
なぜなら、私がこの母娘に席を譲って立っているにもかかわらず、彼女らのパパは悠然と後方の席に座っていたからです。
思わず、膝に娘を乗せた母親を無言で睨んでしまいました。
そこから目的地まではハラワタが煮えくりかえる思いで立ち続け、降車の際に母親と父親に嫌味の一言でも言ってやろうかとも考えましたが、グッと我慢しました。
降車時に母親からは御礼も言われず、老婦人は申し訳なさそうな顔で私の顔を見ていました。
いまだに新幹線に乗るとこの出来事を思い出し、あの非常識な家族にやはり一言、嫌味でも言っておくべきだったかと後悔......。
こんなことを何十年も思っている私は、やはり心が狭いのでしょうか?
「のりもの」で出会った「迷惑な隣の席の人」いませんか?
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