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キーワードは「東川らしさ」。人口8000人、北海道の小さな町が「普通のふるさと納税をやめた」理由

Jタウンネット編集部

Jタウンネット編集部

2020.09.03 17:30
提供元:東川町
「うちの町は、他の町とは全然違うんです」

2020年2月、Jタウンネット編集部を訪れた菊地伸さんはそう熱く語った。

「うちの町」とは、北海道のほぼ真ん中に位置する東川町のこと。菊地さんは、東川町役場の職員で、ふるさと納税等を担当する「東川スタイル課」で課長を務めている。

ふるさと納税と聞けば、ほとんどの人が「返礼品」という言葉を連想するに違いない。ふるさと納税サイトにずらりと並ぶ美味しそうな特産品をゲットするために、知らない町に寄付したことがある人もいるだろう。

もちろん東川町でも、寄付者には返礼品を送る。目玉商品の一つ「東川米」は、天然の地下水で育てられた地域ブランド米で、ファンも多い。 しかし東川のふるさと納税は、寄付をしてもらうことだけが目的ではない、と菊地さんは説明する。

菊地さんによると、東川町ではふるさと納税を「ひがしかわ株主制度」と呼んでいる。

ふるさと納税の寄付を「投資」と捉え、寄付者が参加する「株主総会」などを通じて、株主にも町づくりに参加してもらっているのだそう。

町が行う「株主制度」、そして、寄付をした人とともに作る町とは、いったいどんなものなのだろう?

興味をひかれた筆者は、実際に東川町を訪れることにした。

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「株主制度」で目指すのは、人とのつながり

旭川空港で飛行機を降り、車に乗って約10分。東川町へは、あっという間にたどり着いた。

それもそのはず、東川は旭川市と隣接する町。空港からは、旭川市の中心部に行くよりも東川町の方が近いほどだ。

東川町は、北海道最高峰の山・大雪山旭岳のふもとにある、人口8000人ほどの町。町の中には、まっすぐに続く道路が碁盤の目状に走り、道の両脇に大きな田んぼが広がっている。筆者が訪れた7月中旬には、青々とした稲が風に揺れていた。

まず向かったのは、「せんとぴゅあⅡ」という施設。

開放的なせんとぴゅあⅡ(東川町提供)
開放的なせんとぴゅあⅡ(東川町提供)

開放的な雰囲気の、ガラス張りの建物だ。菊地さんが働く「東川スタイル課」のオフィスは、町役場ではなくこの施設の中にある。

「遊びに来たつもりで、楽しんでください」

と迎えてくれた菊地さん。まずは「株主制度」がどんなものなのか、詳しい話を聞くことにした。

菊地さんによると、ふるさと納税制度が始まった2008年からずっと、東川町では「ひがしかわ株主制度」という形で投資(寄付)を募っている。そしてその寄付金は、「東川町民だけが恩恵を受ける事業には使わない」という。

「東川町では、ふるさと納税の制度が始まる以前から今で言う『関係人口』と呼ばれる人たちを大切にしてきました。
その人たちとの関係をさらに強めていくために、ふるさと納税という制度を活用したんです」

総務省の「関係人口ポータルサイト」によると、関係人口とは、地域に定住している「定住人口」とも、観光で訪れる「交流人口」とも違う方法で地域とかかわる人たちのこと。

例えば、その地域の出身者で今は別の場所に住んでいる人や、過去に勤務・居住・滞在をしたことがある人などだ。

「東川出身で、東川から離れている人をどう町とつなげるか。
もうひとつは、町の取り組みを通して重ねてきた町外の人たちとの関係をさらに強く結ぶ仕組みは何があるのかというのを並行して検討しました。
ただ寄付していただくだけじゃなくて、東川らしい取り組みができないかということで、プロジェクトチームを立ち上げて。そこでたどり着いたのが株主制度だったんです」
東川スタイル課・菊地伸課長
東川スタイル課・菊地伸課長

東川町が「関係人口」を大切にしてきたのは、1985年に町が行った「写真の町宣言」がきっかけだと菊地さん。

「文化に機軸を置いた、文化を中心とした町づくりをしようということで、85年に宣言をして86年に条例を定めました。
その当時、一村一品運動(編注・各市町村が一つの特産品を生み出し、地域の活性化を目指す運動のこと)の時代で、東川は特産品ではなく、文化。写真という文化で町づくりをしようという決断をしたんです」

なぜ写真なのか。菊地さんによると、札幌にある企画会社からの提案がきっかけだという。

「東川は風景もいいし環境もいいので、写真の町っていうコンセプトで町おこししたらどうでしょうかという企画で提案されたんです。その時の町長がそれに興味持って、やろう、となったんです」
規則正しく並ぶ水田が美しい東川町(キトウシ展望閣から撮影)
規則正しく並ぶ水田が美しい東川町(キトウシ展望閣から撮影)

そして、東川町は宣言を行った85年から毎年、「東川国際写真フェスティバル」というイベントを行ったり、「写真の町 東川賞」を国内外の写真家に対して授与したりしてきた。

また、94年からは全国の高校生が東川町を中心とした1市4町を被写体にした写真でしのぎを削る「写真甲子園」、2015年からは海外の高校生を招待して写真を通じて交流を図る「高校生国際交流写真フェスティバル」を開催。そうした取り組みによって、町外の写真家や写真業界、写真が好きな人との関係を築いてきたという。

株主は「特別町民」

ふるさと納税という制度ができた時、東川町はそれを活用して「写真の町」として築いてきた関係をさらに強めようと考えた。

「もともと人脈はあるんだから、そこを『株主制度』に活かしていこうという考え方です」(菊地さん)

初年度、東川町の株主になったのは415人だった。株主の数はそれから毎年増え続け、2019年度には5万人以上になっている。初めは東川町の出身者、「写真の町」で東川町と関わった人などから口コミで広まっていき、今では様々な人が株主になっているという。

株主は投資の際に、東川町が行っている「『写真の町』推進事業」、「水と環境を守る森づくり事業」など10個ほどの事業の中から、どれに自分が出した寄付金が使われるかを決めることができる。

そうすることで、株主と「気持ちでつながろうと取り組んできた」のだそう。

「株主制度」を始めて良かったことは、どんなことだろう。菊地さんはこう語る。

「形として、人々とつながるツールができたのが第一ですよね。
ふるさと納税を活用しているので寄付するっていうことが大前提ですが、寄付をした方は東川とつながった、と思いますよね。
町からは、つながった証として『ひがしかわ株主証』を提供し、町外の株主の方は『東川特別町民』に認定し、認定証をお送りしています」

株主証を持っている人は、無料の宿泊施設を利用したり、公共施設を町民価格で使用したりできる。また、今年は新型コロナウイルスの影響により、オンラインでの開催が検討されているが、年に1度、東川町で「株主総会」も開催しているという。

「株主総会」は、7年ほど前に始まったもので、先着100人の株主が参加できる。希望者は年々増えており、毎年グループで参加するリピーターもいるそうだ。

総会のために東川町を訪れた株主はまず、町内にある「株主の森」へ赴き、投資対象でもある「水と環境を守る森づくり事業」の一環として、植樹をする。

その後、町内の講堂等に移動して「総会」が行われる。職員から東川町が行っているプロジェクト等について説明し、意見交換を行うのだそう。

その場では「この事業って何やってるんですか、具体的に教えてください」「東川町がやろうとしていることは何のためにやってるんですか?」などの質問が株主から出たり、建設的な意見が述べられたりするという。

「投資をしているということで、町づくりに参画しているという意識を持っていると思いますね」

と菊地さんは話す。

総会の後は様々なアクティビティを楽しんだり、みんなで食事をたべたりするのだが、株主たちはここでの町民との交流を楽しみにやってきているそうだ。

「一度、株主総会の参加者のみで焼き肉をやったら、一部から『町民とのかかわりが楽しみで来たのに、なんでなの?』という意見が出ました。
アンケートをとっても町民とのかかわりを望む声が多いですね」(菊地さん)

「株主」の存在は町民にも浸透し、「株主」が町にやってきたときには温かくもてなす環境もできているという。

「いろんな商店であったり、事業主さんにとって株主はただの初見のお客さんじゃなくて、町を支持してくれている人。
町に思いを持っている店は、株主さんがお店に来たときに、(株主であることついて)ありがとう、と言ってると思います。東川町には、東川が好きで店をやってる人が多いですから」(菊地さん)

「写真の町宣言」がすべての始まり

菊地さんに「ひがしかわ株主制度」について聞いていると、一人の立役者がいることがわかった。

菊地さんと同じく東川町の職員で、「写真の町課」の課長・矢ノ目俊之さんだ。

筆者は、矢ノ目さんにも話を聞きに行くことにした。

写真の町課・矢ノ目俊之課長
写真の町課・矢ノ目俊之課長

東川町のふるさと納税「ひがしかわ株主制度」を現在の形にしたのは、矢ノ目さんだという。

2008年、ふるさと納税という制度をいざ活用し始めようというとき、矢ノ目さんが担当者に選ばれた。

その時にはすでに別の担当者が作った企画案ができていたが、それを見ると「全国のどこの町でもやるような普通のふるさと納税だった」という。

「だから、いったんそれを全部見直しました。それは、東川らしくない。
東川らしいっていうのは、自然を大切にして、文化も大切にして、人も大切にするということ。そして自然や文化、人を繋ぐこと。」(矢ノ目さん)

「自然」と「文化」と「人」。この3つは、「写真の町宣言」の冒頭に登場している。

「自然」と「人」、「人」と「文化」、「人」と「人」
それぞれの出会いの中に感動が生まれます。
そのとき、それぞれの迫間に風のようにカメラがあるなら
人は、その出会いを永遠に手中にし
幾多の人々に感動を与え、分かち合うことができるのです。
(「写真の町宣言」より冒頭部抜粋)

矢ノ目さんは、企画を作る時はいつも、この宣言からブレていないか考えるという。

「やっぱり、東川町のいいところっていうのは写真の町宣言に全部由来してるんですよね。
だから、企画を考えるときに一番大切なのは、自然と文化と人が、それぞれかかわりが持てる仕組みになっているか、ということ。
当初のふるさと納税の企画案は、そうなってなかったので、それは東川らしくない。
ただ寄付してもらって、返礼品を送って終わり、ではなくて、長くかかわってもらう仕組みが必要だと考えました」

では、どうすれば「東川らしい」ふるさと納税になるのか。矢ノ目さんはいくつかの案を考え、その中から「企業の株主」に注目した。

「もちろん株で儲ける人もいますが、本来の株主っていうのは、その企業の成長を応援する人の一人ですよね。
だから町にも、その町の成長を応援する人がいてもいいと思ったんですよ。
そこで、『株主制度』というのを企画してできたのが、今の形。
『写真の町』がなかったら今の制度にはなっていません」

と矢ノ目さん。株主制度だけでなく、様々な企画が「写真の町宣言」を基礎にしているという。

町役場には「写真の町」の言葉
町役場には「写真の町」の言葉

東川町と、写真の町について熱く語った矢ノ目さんだが、実は、出身は東川ではなく、同じ地域の別の町。一度は民間企業に勤めたが、93年に転職して東川町に職員としてやってきた。

「東川町役場に勤めて最初に感じたのは、一般的な『役場』の印象と全然違った。
町の人も農業者や商工業者の人たちに『こういうことやってみたいんだ』って言ったら、一緒にやろう、応援するよとか言ってくれて。町の外から来た20代前半のぺーぺーなのに。
役場の先輩方もポジティブな仕事をしている人が多く、『なんかこの町や役場は変わってるなあ』と思ったのが第一印象ですね。
地域の人たちに応援してもらって、かかわりを持たせてもらったことに恩返ししたくて、東川町に骨をうずめようと思うようになりました」

都会との共存共栄を目指す「ひがしかわ株主制度」

ずっと住んできた人にも移住してきた人にも愛されている東川町で、5期にわたって町長を務めているのが松岡市郎さんだ。東川町出身で、元は役場の職員。03年に退職し、町長になった。

松岡町長から見て、東川町はどんな町なのか尋ねてみると、

「こんな町、僕は(他に)ないと思うんです」

との答え。

松岡市郎町長
松岡市郎町長

「(東川町は)とてつもない資源がある町だと思います。
自然的な条件からすると、大雪山国立公園の北海道最高峰の旭岳があるわけです。
そこは今から100年以上前、大町桂月という人(編注・詩人、随筆家)が登山をして、お花畑と羽衣の滝の凄さに魅せられている。
それから、雪のすごさ。雪は厄介者だったけれど、スキーやなんかにも使える。それに、雪が地下浸透して、それが我々の飲み水や温泉として使われている。
東川は地下から水を汲み上げて、上水道なしで水を飲んでいるんです。これは素晴らしい価値だと思います。
お風呂、トイレの流し水、日常生活で使う水全てがナチュラルミネラルウォーターです。
こんな暮らし(他には)多分ないと思います」

豊かな自然と美しい水。それだけでも魅力的だが、東川町の資源は自然だけではない、と松岡町長は続ける。

「旭川空港から10分です。東京では通勤に1時間とか2時間とかかかる人もいるでしょう。
東川からでも、2時間あれば東京へ行けるわけです」

東側には大自然、すぐ隣町は北海道第二の都市・旭川市。「こんなに条件のいいところはない」と松岡町長。

そして、この資源を活用する方法の一つが、「ひがしかわ株主制度」だという。

「都会にはない良さがここにあるわけです。
株主の皆さんに東川に来ていただいて、リフレッシュしてもらう。そして、何か新しいものを作り出してもらう。(東川には)都会のオフィスにはないそういう機能があると考えています」

東川町は都市部にはない価値を提供し、都市部の人々はそんな東川町を応援し、投資する。松岡町長は、東川町と都市との共存共栄を目指しているのだと語った。

寄付金と返礼品。その2つのただの交換では終わらない東川町のふるさと納税「ひがしかわ株主制度」。

それが一体どんなものなのか知るために町を訪れてみて、印象的だったのは東川町について語る時の人々の明るい表情だ。

インタビューした菊地さん、矢ノ目さん、松岡町長だけでなく、滞在中に出会った東川町で生まれ育った人たちや町外から移住してきた人たちが皆、「こんな場所は他にない」と誇らしげに話す。

自分たちが大好きな場所を、他の人たちにも知ってもらいたい。そんな純粋な思いが、株主制度の原動力になっているようだ。

町民から見た「株主」とは?

そして、株主にとっても東川町はただ「ふるさと納税した町」というだけでなく、大切な場所になる場合もあるらしい。

取材中に立ち寄った町内中心部のカフェ「liko to go.」で、店主の桐原紘太郎さんからこんな話を聞いた。

「株主総会の後に店に来てくれて知り合ったり、友人の家に呼ばれて行ったら株主の人に出会ったり、あるいは山で偶然出会ったり。株主の人とは、距離感が近いです。
友達になって、家族ぐるみで付き合って、この前はコロナの影響でこちらに来れないから、ということで何人かの株主の友人とzoomでオンライン飲み会をしました」(桐原さん)
liko to go.店主・桐原紘太郎さん
liko to go.店主・桐原紘太郎さん

ふるさと納税をしたことが、その町で友人を作ることにつながるとは驚きだ。町に住む人が株主の存在を「町を応援している人」だと捉え、株主自身も「自分も町づくりに参画している」という意識があるからこそ、互いに打ち解けられるのかもしれない。

この温かな東川という町に、自分自身も関わってみたい。笑顔で話す町民の皆さんをみて、そう感じた筆者だった。

<企画編集:Jタウンネット>

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