上野駅の地下深くに、ゴーストタウンのような巨大空間があった かつての隆盛を語る「遺産」を歩く
上野駅は、パンダに桜と、観光客でにぎわう上野の街の玄関口である。その駅の地下深くに、忘れられかけた歴史を伝える空間が残っていた。
上野駅から新幹線に乗る時、地上から新幹線改札を通り、エスカレーターを乗り継いで地下の新幹線ホームに向かう。新幹線ホームは地下4階に立地しているが、そのすぐ上の地下3階に出ると、広大なコンコースが開けている。
しかし、新幹線とはいえ東京駅や新大阪駅に比べると格段に行きかう人は少なくがらんとした雰囲気がただよう。列車が来ない時間帯はほとんど人がいないことも。
何故こんな広大な空間が――と思いたくなるが、30年前、この駅が北に向かう新幹線のターミナルだった名残だ。
旅人でにぎわった時代の面影
1985年3月14日、大宮止まりだった東北・上越新幹線が上野まで開業して地下30メートルの深い新幹線ホームが供用を開始した。当然、東北・上越新幹線の始発駅となったわけで、広いコンコースも当時の乗客数に対応したものだったと考えられる。
コンコースの大宮寄りにはちょっとくぼんだ空間があり、「ときめき広場」と名付けられている。待ち合わせ場所のように使われていたのだろうか。
今もお盆・正月になると新幹線は帰省ラッシュで超満員になるが、この空間もかつては故郷に帰る人や、友達や恋人と旅に出る人たちでにぎわっていたことは想像に難くない。
しかし91年6月20日に東北・上越新幹線が東京まで延伸したことでこの広いコンコースが主役の時代は終わった。
北への玄関口の地位も東京駅に譲って、ひっそりとした中間駅になっている。わずか6年間だけのターミナルだったのが新幹線上野駅だが、それでも駅は当時のまま残って、随所に名残をとどめている。上野がターミナルの時代のまま時が止まったようなモノを至る所で見かけるのだ。
今でも新幹線ホームには列車が発着するが、東京駅に比べると何とものんびりした雰囲気だ。面白いのは下りホーム(19・20番線)のエスカレーターがすべて下り専用であること。東京~上野だけを新幹線で移動する人などほとんどおらず、下りホームでは降車客より乗車客が圧倒的に多い実情に配慮しているというわけだ。
上野駅は新幹線が乗り入れる前も東北・北陸・信越への沢山の長距離列車でにぎわっていたが、それらはほとんど廃止されて在来線ホームも寂しげだ。普通列車も多くは上野東京ラインに乗り入れて東京方面に直通するので、ターミナル駅独特のにぎやかさや喧噪感は薄らいでいる。
現在の上野駅でにぎわっているのはエキナカがあるエリアや、上野公園に近い公園口周辺など。上野の桜に動物園に博物館、またアメ横も近くて、日本人外国人問わず東京有数の観光地に行くべくこの駅で降りている。その反対に、地上の在来線ホームや新幹線ホームは閑散として、ゆったりした時間が流れている。
北の玄関口から観光客を迎える駅へ。上野駅の役目は昭和から平成、令和に至る30年間で大きく変わったが、北への旅人が集まる時代の名残だった空間は解体されずに次の時代を迎えようとしている。東京から列車に乗ると素通りしてしまう新幹線上野駅だが、時折上野から乗ってかつての旅人の気分になってみるのも面白い。