北斎通りで「江戸」に思いを馳せる【本所七不思議めぐり(2)錦糸町編】
割下水周辺は当時の怪奇スポットだった
前回は亀戸駅から京葉道路沿いに進み、錦糸町駅南口に到達したが、ここから北口に向かう。目指すのは「北斎通り」だ。この北斎通り、今でこそ車が行きかう道路になっているが、実はその下には暗渠化された水路がある。
江戸時代に作られた「割下水(わりげすい)」と呼ばれる堀状の水路で、本所には排水のためにこの割下水がいくつか設けられていたのだ。
今でこそ目にすることはできないものの、北斎通りの下にはかつての「南割下水」が存在する。やや北に位置する春日通りのあたりが、「北割下水」だ。割下水巡りも江戸の都市計画や行政区域を知るうえでかなり面白いのだが、今回は割愛しよう。
本所に割下水が複数あり、身近な存在だったが故の必然かもしれないが、本所七不思議にはこの割下水周辺で起きるものが多い。
例えば、南割下水には夜になると蕎麦の屋台が出ていたそうだが、中に一つだけ、行燈の明かりがついているのにいつまでたっても主人が現れないものがあるという「消えずの行燈(行灯がついていないというバージョンは「燈無蕎麦(あかりなしそば)」となる)」。今ならさしずめ自動化された無人コンビニ、みたいなものであろうか。
何もない所に提灯の明かりのようなものが現れ、追いかけると消えるがまた別の場所に現れる、という「送り提灯(ひとつ提灯とも)」も割下水周辺(どの割下水かは伝承によって異なる)で見かけられたとされており、明かりが拍子木の音に置き換わった「送り拍子木」も同様だ。
さらには、どこからともなくお囃子の音色が聞こえるという「狸囃子」も、いずれかの割下水付近で音が聞こえなくなる、というパターンになっている。
これで一気に3エピソードを消化する。生憎記者が北斎通りを歩いたのは昼間なので、蕎麦屋も提灯もお囃子も見聞きしなかったが、夜に歩いたとしても、都会の喧騒に紛れて見落としてしまうかもしれない。七不思議も成立しづらい時代だ。