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浅草「凌雲閣」、基礎の一部が出現! 今後のことを台東区教委に聞いた

Jタウンネット編集部

Jタウンネット編集部

2018.02.15 16:00
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明治~大正期にかけて浅草のランドマークとなっていた建物が1890年に建てられた「浅草凌雲閣」だ。10階までは煉瓦造りの八角塔、11・12階は木造という作りで俗に「浅草十二階(単に十二階とも)」と呼ばれ、日本初とされる電動式エレベーターが設置された。当時の錦絵や絵葉書などにもその姿が数多く残されており、東京の名勝として知られていたことがうかがえる。

関東大震災(1923年)で崩落し、残った部分もその後爆破解体されてしまったため実物を見ることはできない――のだが、基礎部分の一部は今でも浅草の土中に残っているようだ。2018年2月9日に台東区浅草2丁目の工事現場で、基礎部分の一部が見つかったのだ。

当時の絵葉書に描かれた凌雲閣の姿(Wikimedia Commonsより, Nesnadさん撮影)
当時の絵葉書に描かれた凌雲閣の姿(Wikimedia Commonsより, Nesnadさん撮影)

より正確な建物の位置を確認

たかだが12階建、とはいっても当時の浅草には高層ビルなど一切存在しない。平屋が並ぶ浅草の街並みの中で、約66メートルあったという凌雲閣の存在感はかなりのものだっただろう。

失われたかつての高層建築というのは、なにかロマンをくすぐるものがある。凌雲閣の遺稿出現の報道はツイッター上でも話題となり、多くの人が一目見ようと現地を訪れたようだ。

報道やツイッターでの投稿を見る限り、今回確認された遺構はセメントと煉瓦のようだが、具体的にはどの部位にあたるのだろうか。Jタウンネットが2月15日、台東区教育委員会文化財担当者に確認した。

「調査時点ですでに現地の煉瓦は破砕されて元の形状は残っていなかったため、露出していた隣の敷地部分の煉瓦の状態や残っていたセメント部分の状況などから、凌雲閣の基礎部分と推測しています」

単純に年数で歴史的な価値が図れるわけではない。それでも貴重な遺構にも思えるだのが、当該工事現場の基礎跡はすでに破砕し破棄されている。一部の煉瓦やセメントを区で保管はするものの、完全な保護は難しいという。

「遺構の保存となると工事ができなくなったり、保存のための特別な工事を行う必要があり、費用や諸手続きの面からも容易ではありません。移築する、文化財にすると言った方法も簡単に実施できるわけではなく、難しいと思われます」

ちなみに凌雲閣の正確な位置はわかっていなかったといった情報もネット上では散見されるのだが、担当者はあっさり否定した。

「凌雲閣が建っていた敷地の場所はよく知られており、凌雲閣の建物そのものが建っていた場所も、過去に発掘された遺構の調査などからおおよそ確認されています。今回の遺構の出現で、建物がどこに建っていたのかがより正確に把握できたということです」

遺構が確認されたのは、花やしきのすぐそばにあるひさご通り商店街。この辺りを歩くときは、「足元に明治大正ロマンの基礎が埋まっているのだなあ」と感慨にふけってみては。

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