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幕末の日本には「3つの政府」があった... 佐賀藩士と「肥前大守政府」が描いた未来地図

Jタウンネット編集部

Jタウンネット編集部

2017.11.29 11:00
提供元:佐賀県

有田焼に「カンパニー」の概念を

万博を足掛かりに世界へ飛び出した佐賀人は、佐野だけではない。代々、有田焼(伊万里焼)の家に育った8代深川栄左衛門も、そのひとりだ。佐賀が初参加したパリ万博から数年後、1876年のフィラデルフィア万博に目を付けた深川は、個人ではなく「カンパニー」として力を合わせた方が良いと、有志の陶工たちと「合本組織香蘭社」を設立した。九州初の法人とされる同社は、フィラデルフィアで褒状を受け、78年のパリ万博では金賞に輝いた。

フィラデルフィア万博での褒状(香蘭社にて撮影)
フィラデルフィア万博での褒状(香蘭社にて撮影)

香蘭社の美術性を高めた原動力には、がいし(碍子)製造があった。電線に取り付け、鉄塔などに電気が流れないよう絶縁するがいし。電信技術の発展を受け、明治政府は深川に国産磁器製がいしの開発を依頼し、1870年に実用化していた。食器以外にも事業の柱があったからこそ、美術面に注力する余裕があったと言えるだろう。

当時のデザイン画を紹介する、香蘭社の森知巳総務課次長
当時のデザイン画を紹介する、香蘭社の森知巳総務課次長

「その時、佐賀は世界を見ていた。そして今、佐賀は世界を見ている。」
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