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幕末の日本には「3つの政府」があった... 佐賀藩士と「肥前大守政府」が描いた未来地図

Jタウンネット編集部

Jタウンネット編集部

2017.11.29 11:00
提供元:佐賀県

いまから150年前、日本には3つの「政府」があった――。少しおおげさな表現だが、明治維新直前、世界からはそう見えていたかもしれない。

時は1867年、フランス・パリで万国博覧会が行われた。そこに日本から参加したのは、「日本大君政府」と「薩摩大守政府」、そして「肥前大守政府」。ときの徳川幕府と薩摩藩、そして佐賀藩だった。

当時すでに、幕藩体制は限界に近づいていた。そこで薩摩藩は、諸外国に対して、幕府と対等に見せるべく「政府」を名乗り、佐賀もそれにならったとされる。この両藩は、「薩長土肥」の一角として、翌年からの明治維新の立役者となり、文字通り「日本政府」の中核を担うことになる。

「肥前大守政府」代表、佐野常民がもたらした偉業

佐賀県立佐賀城本丸歴史館では2017年秋、「1867年パリ万博と佐賀藩の挑戦」展が開かれた。ここでは「肥前大守政府」の足跡を通して、幕末の佐賀藩がどのような視点を持っていたかを伝えている。

「1867年パリ万博と佐賀藩の挑戦」展
「1867年パリ万博と佐賀藩の挑戦」展

「肥前大守政府」の万博使節団長を務めたのは、当時40代半ばの佐野常民だった。藩校「弘道館」を出た佐野は、幕府の長崎海軍伝習所などを経て、藩の海軍施設「三重津海軍所」の監督を務めていた。10代藩主・鍋島直正からの信頼も厚く、パリ滞在中には団長業務のかたわら、オランダ製の軍艦「日進丸」の発注も担った。佐野はこの時の経験を生かし、維新後も派遣団責任者として、明治政府の万博外交にかかわっていくことになる。

佐賀城本丸の御式台(おんしきだい)に映し出された佐野常民
佐賀城本丸の御式台(おんしきだい)に映し出された佐野常民

佐野にはもうひとつ、パリ万博で運命的な出会いがあった。それは「赤十字」。会場で国際赤十字活動と出会い、後に西南戦争をきっかけとして、敵味方を問わずに兵士を看護する「博愛社」を設立。これが「日本赤十字社」に改名し、初代社長として活躍している。

日本赤十字社の創設者でもある(佐野常民記念館にて撮影)
日本赤十字社の創設者でもある(佐野常民記念館にて撮影)

有田焼に「カンパニー」の概念を

万博を足掛かりに世界へ飛び出した佐賀人は、佐野だけではない。代々、有田焼(伊万里焼)の家に育った8代深川栄左衛門も、そのひとりだ。佐賀が初参加したパリ万博から数年後、1876年のフィラデルフィア万博に目を付けた深川は、個人ではなく「カンパニー」として力を合わせた方が良いと、有志の陶工たちと「合本組織香蘭社」を設立した。九州初の法人とされる同社は、フィラデルフィアで褒状を受け、78年のパリ万博では金賞に輝いた。

フィラデルフィア万博での褒状(香蘭社にて撮影)
フィラデルフィア万博での褒状(香蘭社にて撮影)

香蘭社の美術性を高めた原動力には、がいし(碍子)製造があった。電線に取り付け、鉄塔などに電気が流れないよう絶縁するがいし。電信技術の発展を受け、明治政府は深川に国産磁器製がいしの開発を依頼し、1870年に実用化していた。食器以外にも事業の柱があったからこそ、美術面に注力する余裕があったと言えるだろう。

当時のデザイン画を紹介する、香蘭社の森知巳総務課次長
当時のデザイン画を紹介する、香蘭社の森知巳総務課次長

「その時、佐賀は世界を見ていた。そして今、佐賀は世界を見ている。」

明治維新から150年となる、2018年。佐賀県は幕末・維新期の偉業を振り返り、その当時の「志」を未来へ継承しようと、「肥前さが幕末維新博覧会」を開催する。

幕末維新記念館(市村記念体育館/佐賀市城内)
幕末維新記念館(市村記念体育館/佐賀市城内)

テーマ館は3つ。メインパビリオンである「幕末維新記念館」のほか、佐野や大隈重信らが学んだ弘道館を再現した「リアル弘道館」、そして佐賀藩に伝わる武士の心得「葉隠(はがくれ)」の精神を体感する「葉隠みらい館」。18年3月17日(リアル弘道館は4月16日オープン)~19年1月14日まで、佐賀市内の3館や唐津市・鳥栖市のサテライト館、県立博物館・美術館、佐賀城本丸歴史館ほか、各種施設において実施される。

リアル弘道館(旧古賀家/佐賀市柳町)
リアル弘道館(旧古賀家/佐賀市柳町)

葉隠みらい館(旧三省銀行/佐賀市柳町)
葉隠みらい館(旧三省銀行/佐賀市柳町)

この博覧会のキャッチフレーズは、

「その時、佐賀は世界を見ていた。そして今、佐賀は未来を見ている。」

というもの。佐野や深川らの国際志向を考えれば、言いすぎではないだろう。いまから150年前、たしかに佐賀は、日本のトップランナーであった。そして今、その「志」を未来へと繋いでいく。<企画編集:Jタウンネット>

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