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「日本初のコンタクトレンズ誕生の地」記念プレート撤去へ 名古屋で266年続くメガネ店「玉水屋」11月末閉店

松葉 純一

松葉 純一

2017.10.17 17:00
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眼鏡小売業部門から撤退、ビルも売却......

「日本初の角膜コンタクトレンズ誕生の地」ページ(「玉水屋」ホームページより)
「日本初の角膜コンタクトレンズ誕生の地」ページ(「玉水屋」ホームページより)

電話で答えてくれたのは、玉水屋社長の津田節哉さんだった。

「株式会社玉水屋は眼鏡小売業部門から撤退し、不動産部門を残して存続することになります。現在のビルも売却しました。1階・2階には新しいテナントが入ると聞いています」と津田社長。

玉水屋は「日本初のコンタクトレンズが生まれた場所」として知られている。玉水屋公式ホームページには、次のようなエピソードが記されている。

1951年当時、国内コンタクトレンズ最大手のメニコン創業者の田中恭一会長は、玉水屋の店員として勤めていた。玉水屋を訪れた米軍将校夫人との、こんな会話がきっかけだった。

眼鏡を注文した将校夫人は、「私、コンタクトレンズを持っているのよ」とつぶやいた。眼鏡専門誌でしか見たことがなかった田中氏は、「ぜひ、見せてもらえませんか」と頼んだ。しかし将校夫人は、「大事なものだからダメよ」とかたくなに断った。田中氏が何度も懇願しても、結局見せてもらえなかったという。

「それなら自分で作ってやる」と、田中氏は一念発起、さまざまな試練を克服して、開発に成功する。その後、田中氏はメニコンの創業者となったのだ。「日本初のコンタクトレンズ発祥の地」という記念プレートが、玉水屋の外壁に据えられるようになったのは、2000年のことだ。

「あの記念プレートも撤去されることになります」と、津田社長は残念そうに語った。

11月末、名古屋で営業を続けてきた「玉水屋」は創業266年の歴史に幕を下ろす。「日本初のコンタクトレンズ発祥の地」の記念プレートも姿を消すことになる。

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