重機で調理!6mの大鍋! インパクトで知られる「日本一の芋煮会」は、山形人と技術の結晶だった
必要から生まれた重機調理という新たな伝統
更に調理についての話を伺うと、初回から第3回にかけての調理は全て人力で行っていたという。
当時使われていた大鍋「初代鍋太郎」は、「二代目」の直径6mと比べると幾分か小さい5.63mだったというが、それでも巨大だ。
そのため、調理員として参加した人々への負担は大きく、フェスティバル後には腕がパンパンで動かない、という声が上がったという。
そこで、より大きな調理器具で効率的に進められないか、と考えた際に生まれたのが、重機を使用するアイデアだった。
そうして、必要から生じた重機での調理という手段は現在では目玉であり、その操縦士はフェスティバルの花形になっているという。
この重機導入からずっと運転手を担っているのが、地元企業の吉田重機の従業員。
第4回開催から25年間で培ったノウハウを受け継ぎながら、毎年熟練の操縦士が操縦、もとい調理を担当するのだという。
「期待されているイベントの花形ということもあり、責任と誇りをもって取り組んでいる、という話を聞きます」
こうして受け継がれてきた芋煮会フェスティバルは、2017年も無事に終了した。また、今回をもって25年間使われた大鍋「二代目鍋太郎」は引退するが、今度は直径6.2~6.5mとより大きくなった「三代目」が製造される予定だ。